1.はじめに
2.?てやる/てくれる/もらう?動詞のやりもらい性
3.やりもらいからモダリティへの派生
4.おわりに
參考文獻
초록
本稿では代表的なやりもらい動詞 ?てやる??てくれる??てもらう?を取り上げ、?てやる??てくれる??てもら
う?動詞の?やりもらい?性から利益主、利益象、利益行の要素の化と共に他の文法カテゴリへ移行すること
をみることによって、?やりもらい?動詞を多面的に捉えることを試みた。その結果、?てやる??てくれる?
?てもらう?動詞が?やりもらい?の意味になる時は、利益主と利益象が存在し、利益行をするという三つの要
素がそろってこそ成立する意味であった。ところが利益主と利益象が文の部構造の中に存在せず、話し手が
聞き手にある行を依する構造になるときかけのモダリティに?化することになる。やりもらいから依のモダ
リティへ構造がわると話し手と聞き手の?係、話し手のgenderの側面がわり、いろいろな形が依のモダル
な形として使われることになる。?てやる/あげる?動詞から派生した依形は話し手から聞き手にして、話題
の人物のためにある行を依する依形であることがわかった。また?てくれる/くださる?構文と?てもらう/
いただく?構文は本は異なる構造の構文であるが、依構文になると話し手が聞き手に依するという依構文の
構造になり、?てくれる?構文と?てもらう?構文の構造の違いから開放されて同じ構造の構文になる。日本語
の?てくれる/くださる?動詞と?てもらう/ていただく?から派生した依形は話し手のgenderの別と、聞き
手への待遇の違いで多な形が使われていることを考察することができた。
저자키워드
直接のやりもらい、持ち主のやりもらい、第三者のやりもらい、きかけのモダリティ、元になる文
pp.67~88 (22pages)
1. はじめに
2. 先行究及び究範圍
3. 調査要
4. 語種の使用度とイメジ
5. おわりに
參考文獻
초록
本究の目的は外語のイメジを語種の中から位置付けることによって、外語が持っている性質を明確に把握す
ることである。日本語と韓語は同じ語種を持っているので、?者を照させることによって そこで、同じ語
種の系を持っている日本語と韓語を照させることによって外語のイメジが明らかになると考えた。そこで各
語種の使用態とイメジについて日本と韓の大生のアンケト調査を施し、その結果を考察した。
調査の結果、日本と韓ともに高い使用度を示すのは、外語より漢語や固有語である。しかし、外語に注目す
ると日本の方が韓より使用度が高い。また、語種のイメ?ジについて明らかになったのは次のとおりであ
る。
外語は?格好いい??やわらかい?というイメジ、漢語は ?丁寧??上品?というイメ?ジ、固有語は?親しみ易
い?というイメジが目立つ。また、日本の場合、外語、固有語、そして漢語はそれぞれ立したイメジを持っ
ている。しかも、外語の場合、韓に比べて確に定着していることや良いイメジを持っていることが分かる。
一方、韓では、語醇化運動などにより固有語と漢語の使用領域の中に、外語が浸透しにくく、同じ意味であ
れば、固有語ないし漢語の使用が優先されていることが明らかになった
저자키워드
語種、外語、イメジ、照究
pp.89~108 (20pages)
1. 들어가기
2. 본론
3. 맺는 말
Abstract
참고문헌
초록
日本の平安朝後期に成立した新猿記に登場する<第一の本妻>、<次の妻>、 <第三の妻>にして、工藤
重矩氏は?第一の本妻は離婚された妻であり、<次の妻>はその離婚後の妻である?と解している。ところ
が、ここの<次の妻>は夫の右門尉と同時的結婚生活を維持している妻であり、また二人の妻が第三の妻の
ことを嫉妬しているという容から、平安朝の<一夫多妻制>の婚姻形態を現わしていると考えられる。これ
と關連して、韓と日本、兩國の歷史にみえる<次妻>の用例は一夫一妻制のもとでいわれる<妾>ではな
く、高麗王朝と平安朝に現れている<一夫多妻制>の有力なであると言える。たとえば、平安朝の<妻><
妾>という記は<妻>と記入される人は一人に限定されるという機械的な原則に基づいたことに過ぎず、當
時の社は妻と妾がまだ分離されていない態であった。一方、高麗王朝の婚姻形態について、?來<一夫一妻
制>と <一夫多妻制>, そしてこれらの二つの形態が存しているという三つの立場が尖な立をみせている
が、本考察を通して、<妻><妾>という呼は存在したが、身分や社的差別のなかった、ほぼ等な地位の名の
<妻ら>が存在していたと考えられるのである。もう一つ、韓日、兩國が<一夫多妻制>の社であったとい
うとして<重婚>にする規定を考察した結果、平安朝の方は唐律令の影響から生れた有形無の法律であり、
高麗王朝の方は<重婚>の法律自が存在していなかったことが分かる。以上のような考察を通して、古代は
方とも唐の律令を模倣して律令家制を構築していったが、婚姻形態においては、方とも中の<一夫一妻制>
とは違う<一夫多妻制>の婚姻形態をもっていたといえるだろう。
저자키워드
新猿記(Sinsarugakki), 高麗時代(Koryo dynasty), 王朝時代(Heian dynasty), 一夫多妻制(po
lygamic customs), 一夫一妻制(monogamy)
pp.109~129 (21pages)
1. 서론
2. 翁猿樂(오키나사루가쿠)와 秦河勝(하타노 가와가츠)
3. 秦河勝(하타노 가와가츠)와 聖德太子傳承
4. 秦氏族의 翁信仰(오키나 신앙)
5. 荒神으로서의 秦河勝(하타노 가와가츠)
6. 결론
Abstract
참고문헌
초록
中世の猿者たちは、自らを渡系秦氏の後裔だとし、始祖として秦河勝を崇してきた。秦河勝は、能だけでな
く、雅や伎の祖先とされており、芸能の起源話に登場している。秦河勝が芸能の祖として言化される背景を
探ってみたいと考えたのがこの論文の出点である。
芸能の起源とからまって語られる秦河勝承は、中世の聖太子承が展開する中で、形作られたとみられる。能
を大成させた世阿やその金春竹は、中世の聖德太子傳承のなかに含まれていた秦河勝の芸能起源を能の起源
として援用していた可能性がある。しかし、秦氏族の翁信仰をもとにして翁猿樂が成立する過程で芸能の翁
神と秦河勝を一體とする言が形成され、それが猿樂者たちの間で承されてきた可能性も排除することはでき
ない。猿者集が祭っていた秦河勝が、翁神である同時に荒神と重なる緯も同に考えられる。
猿者集は、鬼の芸能を翁の芸能として飛躍させ、日本演劇の起源ともいえる翁猿樂を成立させた。能や歌舞
伎は、翁猿をもとに生まれたものである。翁猿は、翁面をつけることで翁神と化した老の神と童子による呪
術的なパフォマンスである。翁猿における翁神や翁面の由は、渡系秦氏族の翁信仰から見い出すことができ
る。まず、翁神は、鍛冶翁から童子として身した八幡神の巫俗的な側面と、荷神や新羅明神が持っている鬼
や荒神としての側面、民に近い現れ方をする松尾神の卑しい側面、これらすべてを持っている。以上で取り
上げた八幡神荷神松尾神らは山の神であるという共通点を持っている。このように猿の翁神は、山岳修文化
の世界で活躍していた翁神を信仰する翁信仰を背景にして誕生したとみてよいだろう。次に、翁面は、猿者
集によって神を象する神として崇められてきたが、神聖視されてきた翁面の本質も神が翁として、または荒
神としてあらわれる修文化のなかに求めることができる。
また、秦氏族の祖先とされる秦河勝が翁神であると同時に荒神の神格をもっているのも中世に活躍する山の
翁神の場合と共通する。日本古の山岳信仰に外の宗文化が集合することで成立した修道においては、翁と荒
神がほとんど重なりあう位相であらわれるのである。
저자키워드
秦河勝(하타노 가와가츠), 翁神(오키나 신), 翁信仰(오키나 신앙), 聖德太子, 鬼(오니), 荒神
pp.131~153 (23pages)
1. 들어가며
2. 『곤쟈쿠』의 『라쇼몬』, 도둑>강도
3. 아쿠타가와의 『라쇼몬』, 도둑>강도
4. 구로사와의 『라쇼몬』, 도둑·강간·에고이즘·거짓말
5. 맺음말
Abstract
참고문헌
초록
本稿は 「今昔物語集」の話と芥川龍之介の小 「羅生門」、そして明の映 「羅生門」を取り上げ、意識化
されていくテキストとしてのその過程を考察した論である。これらの三つの 「羅生門」には代の文ジャン
ルと時代性が窺える好例のテキストである。それは人と姦をめぐってのこれらの三つの 「羅生門」の評が
それぞれの時代と文テキストの中でよくあらわれているからである。「今昔物語集」の話には現代でのみと
姦との評が異なっている。すなわち人のほうはつよく非難されているが、姦についての評はなされていな
い。芥川龍之介の 「羅生門」(=「? の中」) にはみと姦ともにつよく非難するのみならずそれを殺人事
件化され、それをめぐっての人間のエゴイズムが語られる、多な人間君像があらわれている。そして明の
「羅生門」には人、姦、エゴイズムは相的であり多な判の可能性を開いている、ボストモダニズム的な人間
の意識が提示され人間の'?'についての多な角度の分析が行われている。したがって本稿ではこの三つの
「羅生門」を人、姦、?、エゴイズムという四つのキワドを取り上げ、順次的にどのように受容され化され
ているかを意識化されていくテキストとして考察しようと試みた。
저자키워드
羅生門、今昔物語集、芥川龍之介、黑?明、?の中
pp.155~172 (18pages)
1. 머리말
2. 문제적인 인물 김옥균에 관한 논쟁
3. 우울한 지식인으로서 김옥균의 형상화
4. 맺음말
Abstract
참고문헌
초록
本稿の目的は、日本の劇作家たちが金玉均に心を持った理由を具的に明らかにするところにある。特に192
0年代、日本で金玉均がどのような人物として評され、?時金玉均がどのような値を持っていたかについて
考察した。分析の象とした作品は秋田雨雀の<金玉均の死>(1920年)と小山內薰の<金玉均>(1926年)であ
る。
本稿で分析した結果は次のとおりである。秋田雨雀の<金玉均の死>は冷酷な時代況、亡命政治家としての
孤感、そして悲劇的な死に焦点が?てられた。つまり、秋田雨雀は自分が生きていた現の矛盾と不理を念頭
において、知識人として感じていた孤感と憂鬱さなどを金玉均に投影して表したのである。小山內薰の<金
玉均>も金玉均を通して同時代の問題意識を表そうとした。彼は作品の中で、矛盾と不理を作り出す主を絶
的な助力者であった日本の外交官に設定した。小山內薰は日本の公使である松山を信できない?薄な人物と
して作り上げ、最も信できる象さえも信できない悲劇的な況を描き出した。
このように秋田雨雀と小山內薰が描き出した金玉均は、なる植民地である朝鮮の知識人ではなかった。金玉
均という朝鮮の近代知識人の中に自分たちの姿を投影させ、日本の知識人たちが感じていた不安と憂鬱さを
同時に表現しようとしたのである。
저자키워드
金玉均, 憂鬱な 知識人, 亡命客, 時代意識, 自己矛盾
pp.173~198 (26pages)
Ⅰ. 서 언
Ⅱ. 종래설의 문제점
Ⅲ. 왜 왕권과 ?임나사?및 ?임나의 조?
Ⅳ. 결 어
참고문헌
초록
本稿は、?任那の調?にする日本界の通的理解にする批判作業の一環として、特に?任那の調?の史的意義を追
求するにおいて、いわゆる?任那使?の存在をその前提として理解してきたの通及び新の考え方について、そ
の問題点を連史料である推古紀三十
年各の分析を通じて明らかにし、かつその可否を具的にしてみたものである。
言うまでもなく、?任那の調?の問題においていわゆる?任那使?との連を何よりも重視する日本界の傾向は、
石母田正氏の提起したいわゆる?東夷の小帝小中華?論の多大な影響力と深くわるものである。つまり、日本
古代史界では今現在においてもなお、日本古代家の特質及び外係史の性格を論じる際、まず持って、いわゆ
る?東夷の小帝?·小中華?論に基づいた究がその主流を占めているのである。
しかし、本稿の討結果からすると、いわゆる?任那使?の存在を前提として、?任那の調?の史的意義を追究し
てきた、石母田正に基づいたの理解の仕方は、史料的根を全く持たない、いわば砂の上の閣のような、脆弱
な土台の上での論議であることが明らかになったと考えられる。
したがって、今後における?任那の調?の理解は、??とは異なる視点点から行わなければならず、少なくと
も、いわゆる?任那使?の存在を重視するイデオロギ的儀的側面に一貫する立場からは、一、離れるべきであ
ろう。と同時に、?調?という日本書紀編者らの意識が色濃く投影された、律令用語からの解放も切に望まれ
るところである。
저자키워드
?任那の調?、いわゆる?任那使?、推古紀三十年、倭王?、?東夷の小帝小中華?論
pp.199~220 (22pages)
1. 문제제기
2. 선행연구의 검토
3. 연구의 시각 및 방법
4. 조선 후기의 대외 관념과 세계관 : ‘사대’(힘)와 ‘중화’(도덕)의 이원주의
5. 장지연의 이원주의적 세계관
6. 일제시대 장지연의 언론활동: ‘친일’적 언론과 민족주의적 언론의 혼재
7. 결론
Abstract
참고문헌
초록
Recently there has been some social arguments on Chang Ji-yeon for his so-calle
d ‘conversion’ and they often seem too emotional or not fair enough. Then wha
t would be the more practical point of view on this problem? This paper suggest
s that we first note the coexistence of conflicting inclinations in his thought
s which are the ‘nationalistic’ and the ‘pro-Japanese’ at the same time, and
we need to explore the reason of the fact. The subject for this research are as
follows; First, to grasp the world-view of Chang Ji-yeon and its transition by a
nalyzing his way of understanding of social Darwinism. Second, to compare his wo
rld-view to that of the predecessor era of his time. The result reveals that Cha
ng Ji-yeon to the end had remained in the realm of traditional Confucian world-v
iew which can be characterized as dualism of ‘power’ and ‘moral’ and from thi
s fact we can infer the true meaning of what we call as his ‘conversion’.
저자키워드
Chang Ji-yeon, 'pro-Japanese'controcersy, conversion, Confucian world-view
pp.221~240 (20pages)
1. 서론
2. 분석자료
3. 분석방법과 결과
4. 결론
참고문헌
초록
The analysis on information transmission of price and price volatility among pet
roleum futures markets of Japan, China, and the United States using bivariate A
R-ARCH models shows the following results. First, NYMEX crude oil futures marke
t has a dominant position over the other petroleum futures markets in terms of p
rice and price volatility information flow. Second, TOCOM petroleum futures mark
et has been playing its role as a price-setter in Asia and it's been exchanging
price information quite briskly with the overseas petroleum markets. Nonetheles
s, any price volatility information feedback has not been made among TOCOM, SHF
E, and NYMEX markets.
저자키워드
Japan, China, petroleum futures, price information transmission, VAR-GARCH mode
l
pp.241~258 (18pages)
1. 서론
2. 문헌연구와 연구모형
3. 연구의 대상과 방법
4. 기술 통계: 예비 분석
5. 분석: 미국식 이름 사용 패턴과 경제사회변수의 관계
6. 결론
Abstract
참고문헌
영문초록
This study examines how socio-economic characteristics affect Japanese American
s’ decision to adopt Anglicized names. Empirical analysis reveals three main fi
ndings. Economic variables like the average household income and
housing prices have no impact on Anglicization rates. However, sociocultural fac
tors affect Anglicization rates more than economic factors. Ethnicity is the mos
t significant sociocultural factor, and even though gender has no influence on i
ts own, the interaction of gender and ethnicity has a significant impact. The si
gnificance of ethnicity implies that Asian-Americans behave differently than oth
er American ethnicities. The fact that Japanese Americans, males in particular,
are found to use American names more than others shows that ethnicity and gende
r have a special effect. The insignificance of economic variables also suggests
future studies, to further the thought on the language use of immigrants to the
United States.
저자키워드
Japanese Americans, name Anglicization, Korean Americans, gender, immigration, A
sian American Studies
pp.259~287 (29pages)
일본연구센터 동정(2008.9.1∼2009.2.28)
고려대학교 일본연구센터 규약
『日本究究』 投稿規定
『日本究究』 論文作成要領
『日本究究』 審査規定
『日本究究』 硏究倫理規定
pp.289~309 (21pages)