1. 시작하며
2. 「국화와 칼」이 베스트셀러가 된 배경
3. 「국화와 칼」현상을 둘러싼 논의
4. 「국화와 칼」은 어떻게 읽혀졌는가?
5. 나가며
pp.33~50 (18pages)
1. 들어가며
2. 인용표현과 변화표현에 대한 기본사항
3. 고찰
4. 마치며
pp.69~91 (23pages)
1. 배경
2. 일본어교육 현황
3. 일본어교육과 일본학연구
4. 마치며
pp.93~111 (19pages)
1. 머리말
2. ‘동어반복(同語反復)’과, ‘안목어(眼目の語)’ 또는 ‘어맥(語脈)’
3. 「후지노우라바」 권 모노가타리 세계 내 정황
4. 「후지노우라바」 권에 나타난 ‘히카리(光)’
5. 「후지노우라바」 권에 나타난 ‘무라사키(紫)’
6. 동어반복의 사정(射程)-맺음말을 대신하여-
pp.113~134 (22pages)
1. 서론
2. 조사 자료 및 고찰 방법
3. 사역표현의 4단화 실태
4. 4단화의 전체적인 경향
5. 결론
초록
な上方語資料である版本狂言記に見られる使役表現の四段化の傾向について考察したものである。特に万治
~享保期の版本狂言記4種(?狂言記?(1660)??狂言記?(1700)?狂言記外五十番?(1700)?狂言記拾
遺?(1730))の四段化の?態の分析結果に基づいて、世話?瑠璃及び上方?入狂言本の傾向と比較しなが
ら?語、活用形、文?、時期による?速差とその原因を?討してみた。その結果、?話文を中心にして幾つ
かの特?的事?が分かるようになった。まず先行?究によって指摘された世話?瑠璃及び上方?入狂言本の
傾向と大?一致する事?をまとめると、次のようである。①?語別に見ると、使役助動詞する、さする、使
役動詞さするの順に四段化が進んでいる。②文?的な面から見ると、?話文の四段化は地文の四段化よりは
やい。
更に、本稿の考察を通して新しく分かった事?をまとめると、次のようである。①活用形別に見ると世話?
瑠璃及び上方?入狂言本の傾向、?ち未然形の四段化が連用形の四段化よりはやい傾向とは異なって命令
形、終止·連?形、連用形、未然形の順に四段化が進んでいる。②万治期と元?期間による四段化の?速が
見られる。③同じ時期の上方?入狂言本の四段化率とはほとんど同じであるが、世話?瑠璃の四段化よりは
高い。つまり、このような考察を通して版本狂言記に見られる使役表現の四段化は?語、活用形、文?、時
期によっていろいろな?速差を見せながら進んだということが分かった。また世話?瑠璃及び上方?入狂言
本の傾向との共通点と相違点も分かった。
저자키워드
교겐키;가미가타어;사역표현;~하게 하다;4단화; 狂言記;上方語;使役表現;(さ)する;四段化
pp.135~152 (18pages)
1. はじめに
2. 「章回」の回目と?連語など
3. 物語の「結びの常套語」
4. おわりに
초록
本稿では、日本の文?にそのまま取り入れられた中?俗文?の形式について考察した。特に、回目という小
?の始まりの部分と章回の終りの部分に注目した。中?俗文?の大きな特?は章回小?である。章回という
のは、各小?の目次が章や回になっていることである。この章回小?は、日本には中世までは中?俗文?の
ようなものはなかった。中?では?のものもあるが、時代の流れにより回や章になっているものが?えてい
く。さらに回目(目次)のように、二行からなる目次が流行する。こうい
うスタイルが日本にも?えられ、?本、通俗和?本、日本人作白話文、漢文?作の一部、明治期の文?にも
影響を及ぼしている。回そのものは、言文一致の創始期の作品にも現われているが、二行の回目は用いられ
なくなる。さらに、章回の話の導入部に話?ㆍ却?ㆍ閑話休題のような話題?換語も多?用いられ、中?俗
文?の?裁を?びている作品が多く見られる。中?俗文?における章回の終りの部分には結びの常套語が用
いられる。これは、一般的には畢竟を伴いつつ且?下回分解をもって結ぶという形式である。且つ下回の分
解を?けの意味で、また次の話が?くことを語り手が示す方法である。日本の文?にもそ
のまま受入れられて、近世の?本、極一部の通俗和?本、日本人作白話文、明治期の漢文小?の一部にも用
いられているが、特に、明治期の??ㆍ政治ㆍ講談などの文?作品に多?用いられている。明治期の場合は
20年代以前の作品に集中していて、且?下回分解のような原形を保っているものもあれば、看官次回次?
次編のような指標を用いる場合も多い。このように、中?俗文?の形式をそのまま日本文?に導入している
作品が多く、中?俗文?が近世や近代の日本文?に影響を及ぼしていることが分かった。しかし、日本にお
ける章回小?の回目や結びの常套語は、言文一致の創始期である明治20年代以後は特殊な資料以外には用
いられなくなり、一時的な流行であったことがわかる。
저자키워드
Chinese Literature、Chinese Literary Form、Content、Closing remarks; 中?俗文?、文
?形式、回目、結びの常套語
pp.153~180 (28pages)
1. 들어가며
2. 추량의 조동사 「ん(む)」 와 부정의 조동사 「ん(ぬ)」
3. 분석자료 및 고찰방법
4. 각 조동사의 출현양상
5. 「う」표기의 성립배경
6. 맺으며
초록
?推量ㆍ予想???誘ㆍ期待ㆍ命令??意志ㆍ決意ㆍ希望???定ㆍ婉曲?の意味用法を??した古典語推量の助動
詞?む?の表記は周知の通り?ん?を?て?うㆍよう?に?化し、現代に至っている。?ん?の表記?遷に?する?
?の?究では、?ん?が?う?の?音に似ているので自然に?う?に移行したという音韻論からの解?が中心であ
る。しかしながら、?ん?表記の?遷を音韻?化のみで?明しようとするのは?う??生について充分に把握し
切っていない側面があり、表記形態の?遷を詳しく把握するためには他の角度からのアプロ?チが必要であ
る。このような問題意識から本稿では、同じ?ん?の形態で使われていて、現代語にも?っている打消の助動
詞?ず?の終止形ㆍ連?形の表記?ん?と比較、分析して助動詞?う?の表記が成立する背景について考察を行っ
た。分析?象は「語と文語の?別がはっきりしている近世後期の」語資料で、?落本の「遊子方言(177
0)」、「辰巳之園(1770)」及び人情本の「春色梅??美(1832~33)」である。その中から推量の助動詞
?ん?「?う?と打消の助動詞?ぬ?」?ん?の用例を?出し、?話文と地の文に分けて使用頻度と使用?相を調査
した。そしてそれぞれの文?の特?について?討した。その結果、打消の助動詞?ん?の方が推量の助動詞
?ん?より言語の運用性が高く、影響力が?いことが明らかになった。その理由としては三つのことが?げら
れる。第一、推量の助動詞 ?ん??は文語の性格が?い文?で、ほとんどが地の文に用いられており、?話文
の場合も一部の文章だけに表れるという特?がある。したがって口語?が?えるにつれ姿を消すようにな
る。反面、打消の助動詞?ん?は?ぬ?に比べて「語性が?いので文の中で使用の制約が少なく、そのことから
使用範?がだんだん?くなった。第二、打消の助動詞?ん?は?ます?や?ございます?などに接?し?ません?、
?ございません?の形態として使用が?大し、普遍化した。第三、打消の助動詞?ん?は多?な品詞に接?して
使われたが、推量の助動詞?ん?は一部の品詞のみに接?して使われたので運用性が低かった。以上の理由と
ともに?ん?が?う?に?音しやすい側面があったので、推量の自動詞?ん?の表記は自然に?う?に移行したと推
論できる。
저자키워드
추량의 조동사;부정의 조동사;문체적 특성;접속관계、운용성; 推量の助動詞、打消の助動詞、文?的特
性、接??係、運用性
pp.181~201 (21pages)
I. 들어가며
II. 마이너리티문학의 조건
III. 일본문학 속의 마이너리티
IV. 나오며
초록
本稿では日本文?におけるマイノリティ文?を取り上げ、どのようなマイノリティ文?が存在するのかを?
明し、その意味と問題点について?討する。?多?派?の反?側に位置する?少?派?はどの時代にも存在し
た。ところが、その少?派の?に耳を傾けはじめたのは、それほど?史が長くない。最近、文?の近代性に
?する再評?と共にマイノリティ性についての?心が高まりつつあるが、本格的な?究はまだなされていな
い。マイノリティ文?は多?の言語を以て少?性を??する文?である。つまり少?派の言葉で試みられる
ものではなく、多?が構築した空間の中で、主流や?力の言語?部に?する。多?の政治性を批判し、植民
地政策に反?するマイノリティ文?といっても、その?を?信するためには、主流の文壇に??しなければ
ならない生まれつきのジレンマを抱えている。もっと直接的に言えば、主流文壇の芸術的な基準によって?
値が?認められた?場合でないと、マイノリティ文?として?り立ちできない。しかし、むしろこういった構
造におかれているからこそ、マイノリティ文?は?多?の秩序?を貫き、再構築できる可能性を?包する。マ
イノリティ文?と主流文?は相互依存的で、補完的な?係にある。マイノリティ文?は多?の中で少?性を
追求することで多?を?化させる力が?揮できる。そして、支配秩序に?するマイノリティ文?の異議提起
は、結果的に支配秩序の透明性を保?する道具として?く。本稿でマイノリティ文?として取り上げる沖?
文?も、在日韓?人ㆍ朝鮮人文?も例外ではない。?琉球人??在日?といった少?集?の意識は、?中央?日本
と違う自らの感?、?統性、被害の記憶と一?に現代日本文?の一部として位置づけられている。主流の日
本文壇にとって彼らの存在は余計者ではない。むしろ?存の日本文?が把持できなかった文?の社?性や政
治性を達成した点で、新しい日本文?の可能性を見出している。マイノリティ文?がマイノリティ性を無く
した途端それは忘れ去られるだろうが、マイノリティであるかぎり、マイノリティ文?は?多??にはない、
マイノリティ文??自の可能性を提示し、?主流?を刺激しつづけることができる。
저자키워드
Minority literature;Okinawa literature;Zainichi Korean literature; マイノリティ文
?、沖?文?、在日文?
pp.203~225 (23pages)
I. 서론
II. 신문연재소설에서 서적으로-문자·삽화의 재구성
III. 동정의 표상-권두화 성립
IV. 서적의 독서 풍경 - 묵독·자연·사랑
V. 제목을 회고하는 시선 - 망각된 기원에의 향수
VI. 맺음말
초록
本稿は新聞連載小?から?行本へのメディア?化の意味を、視?的イメ?ジに焦点を置いて分析したのであ
る。明治30年代、??蘆花の小?`不如?`は`?民新聞 に連載されてから、翌年、?行本に刊行された。
こうしたメディアの?換は、?新小??から?小??へのジャンル?換の意味を孕むこととして、日本の近代
?小??への??の一端を見せてくれるのである。特に、メディア?換の過程で意識された視?的イメ?ジの
構成は、日本近代の??をめぐる?化とかみ合ったことなのである。?行本の段階で夫婦愛という主題が浮
上されたという先行?究に基づき、本稿では物語レベルの相違に相?しい書籍の物質に仕立てられた点に注
目した。その結果、新聞連載小?の?新小??イメ?ジを?却するための?行本の??な?更の??を迫るこ
とができ、視?的イメ?ジと文字の再構成、書籍の意匠などにかなりの工夫がこらされたことが明らかにさ
れた。特に、?田?輝の口?によって`小?不如? は同情の表象としてのイメ?ジをより?化することに
よって、いわゆる?不如?的センチメンタリズムの世界?がいっそう?幅されたのである。なお、新聞連載小
?と書籍`小?不如?_は、物語のジェンダ-編成から?者層の受容の仕方や?者層の感受性まで微妙に異
る。こうした新聞連載小?と?行本の差異は、新聞連載小?の記憶を消去し、?行本に?端を置いた新しい
起源の構築によって`不如? が受容されたことを物語っている。さらに、蘆花の自?的小?`富士`におけ
る記憶をめぐる問題、すなわち、題目をめぐる蘆花の回顧の視線や口?を依?する場面の?再現?という二つ
の記憶のずれから、忘却された起源に?する鄕愁や悔恨の矛盾や?裂が?み取れることができた。
저자키워드
신소설;소설 매체 이미지 호토토기스 Sinsosul;Novel Media Image Hototogis
pp.227~251 (25pages)
I. 연구취지
II. 본론
III. 맺음말
초록
1930代前半まで文壇を仕切っていた所謂?純文??は、震災後、商業ジャ?ナリズムで出版市場が?大して
いくなかで浮上してきた大衆文?の威勢にその危機が提起され、多?な題材やジャンルを試み、新しい活路
を模索しなければならない?況に直面した。純文?の危機と大衆文?についての?心が高まっていくなか
で、?小??固有の問題、小?の?形式?をめぐる議論が行われていく。特に1930年代に盛んに行われた長篇
小?をめぐる一連の論議は、日本文學における?長篇?という小?の形式が持つ意味を問いかけている。大衆
小?や新聞小?などの?長篇?を通して文學の大衆化を求めてきたのは、政治的前衛が前提にある上での大衆
化ではあるが、本?プロレタリア文學陣?であった。中野重治は文學の形式を新しくすることによって文學
の大衆化を達成しようと考え、葉山嘉樹の`海に生くる人? が長篇で書かれている点を評?し、社?機構
を??的に描くためには?長篇?でなければならないと述べた。中野のこうした論理は他のプロレタリア文?
者にも共有され、?向の時期を?て、1930年代後半に到って?プロレタリア文?者らが結集して?長篇小?
刊行??の結成と機?誌?長篇小??の刊行につながっていく。彼らは現?社?が短篇小?の方法では表現で
きぬほど?化しているという自?に基づいて、現在の社?を描くためには?長篇?という形式が要請されると
し、散文芸術としての?小??の意味を喚起させている。?長篇?という形式が要請されているのは、文壇の現
象論的な側面を越え、時代的必然性をもって?小??の本質的な表現形式として問い求められているのであ
る。
저자키워드
novels in the 1930s;form of novel;novelette and novel;prose as art; \popularizat
ion of literature and novel; 一九三?年代の長篇小?長篇小?の形式;短篇と長篇;散文芸術;文
學の大衆化と長篇
pp.253~271 (19pages)
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. ル?ミス書簡に見る日???
Ⅲ. 東アジア宣?の?点としての日本
Ⅳ. 結び
초록
ヘンリ??ル?ミスは韓日宣?の?史で重要な位置を占める宣?師であるが、これまで?連資料の紹介も含
めて?究はほとんどされていない。本稿は在日宣?師ル?ミスの米?聖書協?宛て書簡を紹介しながら、?
?の資料をと新?見資料を?合的に?討することによって、彼の宣?活動の?態に迫っていくことを目標と
した。特に、日???前後におけるル?ミス書簡に焦点を?て、東アジア情勢が朝鮮と日本におけるキリス
ト?の宣?にどのような影響を及ぼしていたのかを?討した。その結果、ル?ミスは日本が近代化の意欲が
高まっている点を評?し、日???において日本を支持するとともに、今後の東アジアにおける宣?の?点
にすべきだと判?したことが明らかになった。
저자키워드
HenryLoomis;American Missionary in Japan;American Bible Society;the Sino-Japanes
e War; ヘンリ??ル?ミス、在日宣?師、米?聖書協?、日???
pp.273~288 (16pages)
I. 서론
II. 본론
III. 결론
초록
本論文は、韓?と日本、??の女性によって創作された古典物語を、エクリチュ?ルㆍフェミニンという視
座に立ってその特性を探ろうとしたものである。??の女性たちが自らの心情を逆らうことなく、自然な形
で表現できる固有な表記手段を書きこなすことのできた時点をその基準点にし、文?を通して思考すること
を習慣化して、文化一般の?値を尊重した時期であり、固有な文?を形象化し、完成した時期の作品を選ん
でみた。その結果、韓?の古典女性小?としては`玩月?盟宴(ワンウォルフェメンヨン)`、日本の場合は`
源氏物語`を比較?象に位置づけることができた。?作品が書かれた各時代は時間の差があるにもかかわら
ず、定まった身分が世襲され、全てのことが男性官僚を中心として行われる閉鎖社?であり、その中で、女
性は?牲者である同時に、男性を通して世界と接する受動的な立場に置かれている共通点をもっていた。?
作品とも女性によって創作された長編の作品であるかぎり、物語の核を成す世界は一見、男性中心の?華の
世界のように見えるが、それを周?部で下から支えているのは女性たちの召命意識にほかならないことを
探ってみることができた。その上、?人の根?のある振る舞いに?するナラティブは豊富なスト?リ?を織
り成す動因になっていることも確認できた。特に??な生活相と儀?を書き記す細密で精緻極めた道具立て
は作品の完成度を高めていたのであった。今度の?究は試論に過ぎないので、より進んだ?究は次の機?を
期したい。
저자키워드
The tale of Genji;Wanwolhyemaengyeon;Feminine ?criture;Feminine Narratives;Class
ical Narratives; 源氏物語、玩月?盟宴、エクリチュ?ルㆍフェミニン、女物語、古典小?
I. 들어가며
II. 데이터로 본 「조선(급만주)」의 조선인 기고가들
III. 조선인 기고가들이 쓴 한국문학
IV. 마치며
초록
本論では、日本語?誌`朝鮮 と`朝鮮及?洲 における朝鮮人寄稿家及び彼等が書いた記事に?する基礎資
料調査を行った。調査結果、`朝鮮(及?洲),における朝鮮人が書いた寄稿文は、?誌全?の比率から言っ
てとても少く、色んな分野の上流エリ?ト層が寄稿し、親日的な人物が多く、記事の?減が?督府の統治政
策と連動している点を確認した。`朝鮮(及?洲)_における朝鮮人寄稿文は、芸術分野が一番多く、中でも
文?論や韓?文?を紹介する記事が特に多いのが特?的である。1936年南次??督の赴任後、`朝鮮(及?
洲) でも朝鮮人による露骨な親日且つ?制迎合的な記事が?載され始め、朝鮮人寄稿家の>は最早植民
地統治の???器?役割を?うようになったが、そのような中でも?自の>を出していたのが、朴冥善の
一連の近代韓?文?論であった。
저자키워드
TheCh?sen";"The Ch?sen and Manshu";Korean writers;Korean Literature; `朝鮮_、`朝
鮮及?洲_、朝鮮人寄稿家、韓?文?
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 本 論
Ⅲ. 終わりに
초록
野上?生子が大正期を通して追求してきた文?主題の一つに、男女の間の愛情問題とそれに?する倫理意識
に?するものがある。女性の人生において最も賢明さが要請される結婚問題、結婚後も?く精神的な動?と
いう愛情の根本的な問題に焦点を?てた一連の作品が存在しており、?茶料理?(`中央公論 大正十四年九月
一日)という短篇がまさにその問題意識から出?した作品である。?茶料理?以前から?ある女の手紙?(`新日
本 大正三年九月)、 ?K男爵夫人の遺書?(`中央公論 大正四年四月)、?或る男の旅?(`中央公論 大正十年
九月)などの作品においてそのような追求の試みがみられ、いずれの作品も基本的に過去の愛情と?愛が物
語り展開の前提となり、現在においてその過去の感情をどのように?理すべきかが主人公の葛藤を??させ
る原因となる。?生子は、男女の間に存在する愛という感情を、欲求に?する抑制という倫理的な?点か
ら、いかにより高い感情へ昇華できるかを、いわゆる?愛情小??において追求してきたのである。大正初
期、結婚後も?く夫以外の男性への ?精神的な姦淫?とそれに?する?罪という作品主題(?ある女の手紙?
?K男爵夫人の遺書?)から始まり、家庭を持つ男女の接近の中で起きるエゴイズムと抑制の相克という人間
心理の解剖を試みた後(?或る男の旅?)、理想的な形の再?と?春との決別、さらに過去の情熱から友情へ
の昇華にいたらせる?茶料理?までの過程が、作品を重なるごとに、彼女の意?した主題が深化され明確化し
ていく。その意味で?茶料理?は大正期に提出された?生子の問題意識に?して一つの出口を示した作品とし
て位置づけられると思われる。本稿で取り上げる作品は?表?時注目を浴びた作品でもなく、世間にあまり
知られていないため、?生子文?のなかで?家庭物シリ?ズ?のなかでとらえられてきた。しかし、大正期の
?生子において個人的にも社?的にも重い文?主題であった愛情と倫理の問題は、社?問題へ眼を向き本格
的な長篇小?を描き出した昭和期の文?活動への端?を提供しており、その意味で大正期のこれらの作品に
?する正しい評?と位置づけが必要である。本稿では?茶料理?以下の作品群を?愛情小??と規定し、?生子
流の?愛情小??の性格とその本質を明らかにしたい。
저자키워드
노카미;애정소설;차요리;어느여자의 편지;k남작 부인의 유서;어떤 남자의 여행; 野上?生子、愛情小
?、茶料理、ある女の手紙、K男爵夫人の遺書、或る男の旅
I. 서론
Ⅱ. ‘日本語敎科書’와 ‘地理’
Ⅲ. 空間의 移動 변화
IV. 결론
초록
本稿では大韓帝國?部編纂の`日語?本 、朝鮮?督府編纂の`訂正普通學校學徒用國語?本 (以下:`國語?
本`)の?容を分析して日帝の植民地政策が‘地理’に?する表現がどんなに表象されたのかを考察して見
た。`日語?本 は敎育準備期に編纂されたし、`國語?本 は無?統治期に編纂された日本語の敎科書であ
る。`國語讀本 で一番目立つ?化は?名の?化であった。日本を‘內地’で、?立?である‘韓?’を日
本帝?の植民地であり、地方に過ぎない‘朝鮮’に?えたのである。それで日本と韓?を合わせて我が?
に、淸國は支那に?名が?わったのである。日本と韓?に?する領土の空間を?地と朝鮮に、台?と樺太ま
でを含んで領域の?念に入れていることを確認することができたのであった。日本語の敎科書の地名で一番
大事な比重で使用されたのは東京であった。京城は植民地朝鮮の單なる地域として?明されたのに比べ、?
地の東京は天皇の存在する日本の首都であり、人 ?の比べで京城と相?的に比較している。また揷畵を載
せて、京城と東京の距離の移動を比べている。`日語?本 にのせていない地名が`國語?本 には具?的に
明示されていた。`日語?本 では'日本と韓?'であったのを、`國語讀本 ではもっとも徹底的に植民地
化された表現である'內地と朝鮮'または'內地と半島’のように、2個の?家が?合されて日本になった
'日本?報'に力を?したのである。領土のことは主に??を以て?事したが、?土の?張とともに世界の
中で'小さいけれど?い?'という?事で日本を?調するように?わったといえよう。`日語?本 と`國語
讀本 にのせられた?の?化がみられるが、運賃が下がり、移動の時間が短くかかる。特に移動手段の?加
で日本と韓?の距離と往?を短くて簡?なことに認知させようとした感じがする。?ち日本と韓?との移動
が`日語讀本 では?際線であったのに?した、`國語讀本 では??線の地方移動に?わったことを意味し
ている。日本語の?科書で地理的表現が、'接近'から'?点期'に?化する過程で?育政策による表現の
?化が一入目立つことがわかり、'植民地朝鮮造り'のために日本語の敎科書が大きい役目を果たしている
ことを把握することができた。
저자키워드
지리;공간;수;영역;국명; 地理、空間、數、領域、國名
pp.365~386 (22pages)
一. はじめに
二. ?奠について
三. 「本朝文?」の?奠詩序?菅原道?の?奠詩序?
四. 「本朝文?」の?承?大江澄明の?奠詩序?
五. 「本朝?文?」の?奠詩序?藤原明衡の?奠詩序?
六. ?奠詩序の?承?藤原有信、藤原敦宗の?奠詩序?
七. まとめ
초록
平安時代後期の漢文?は、一般に類型化?形式化が指摘されるなど、前時代の漢文?に比べて低い評?がな
されることがある。しかしながら、その作品の詳細な分析は?れている。本稿では、?時の文??相を鑑み
る際のサンプルとして、?奠の場でつくられた詩序を用いて、類型化が生まれる?況を??するとともに、
それが?なる劣化というに留まらない、社?的?況を踏まえてのことであることを論じる。
저자키워드
일본한문학;유자;석존;스가하라 미치자네;후지와라 아키히라; 日本漢文?、儒者、?奠、菅原道?、藤
原明衡
pp.387~412 (26pages)
1. 들어가며
2. 도요토미 정권 초기(1585~1594)의 수해·지진 발생 규모 및 피해
3. 도요토미 정권 후기(1595~1598)의 수해·지진 발생 규모 및 피해
4. 수해와 지진발생 전후의 국내외 상황
5. 나오며
초록
本論文は1990年代以後、日本の?史?で‘環境史’の?究が活?に進行している中で、‘??と自然災
害’ ‘??と環境’というテ?マで豊臣政?期に?生した自然災害(地震と水害)が?外?係、特に朝鮮侵
略(壬辰丁酉倭亂)とどのような?わりを持っているのかについて考察した。 その結果、豊臣政?の初期に
現れた水害と地震が??外的な政治?況に影響を及ぼしたことはあまりみられない。特に?時の人?の間で
洪水、風害という災害は振り返して?生するものとして認識したので、ある程度こうした災害に??し、ま
た防止することに努めたのである。地震の場合も ‘天正地震’と呼ばれる大地震があったが、?生した地
域は、三河と東海、北陸、美濃、尾張、伊勢、近江など政治?力の中心地であった京都、大坂地域とは距離
があったので政治的に大きな影響を?えなかった。一方、豊臣政?の後期に?生した水害と地震の被害は初
期とは異なり、京都という政治のシンボルで中央政治の中心地域で?生したので、この災害の影響は大き
かった。特に伏見で起きた地震は秀吉に政治的な危機意識を一層感じさせたのである。なぜならな?時の
人?は大地震が?生すれば兵?が起きる可能性が高くなり、また?政者の?力構造に?化がおこりやすいこ
とと地震?生を理解したからである。本論文では豊臣政?期の水害と地震?生という自然災害が ‘秀次事
件’と ‘秀吉の病死風文’、‘日明講和交涉の破綻’という??外的な?況と絡み合って人心の動?や反
?の兆し、社?混?などを吹き起こしたことに注目した。こうした?況で秀吉が今まで?動員して敢行して
きた侵略??が水泡に?し、??の情勢さえも不安な?態になると、自分の率いる政?を維持するため、ま
たほかの突破口をさがすため朝鮮を再び攻?した点を明らかにしたのである。
저자키워드
환경사;자연재해;지진;수해;히데요시;경도;일명강화교섭; 環境史;自然災害;地震;水害;秀吉;京都;日
明講和交涉
pp.413~437 (25pages)
Ⅰ. 問題の所在
Ⅱ. 三??同と天理?の宣?員講習?
Ⅲ. 天理??師講演集
Ⅳ. 普遍性ㆍ普遍主義の問題?むすびにかえて
초록
本?究は、1912年に?務省の計?によって、日露?後の?民精神統合を?るべく推進された三??同政策
と、それに??して行われた天理?の講習?、講演?を分析する。それによって、近代天皇制イデオロギ?
がどのように民衆宗?へ浸透していくのかを問う。支配的イデオロギ?と民衆の希望が接合されるプロセス
を分析することで、そのプロセスのなかで産み出される言?の在り方を考察する。天理?の三??同活動で
は、地方講演?という天理?の公共空間を通じて、?家的で世界的宗?という意識が信者一般に?がり、
?ひのきしん?の?義?念が?家と社?に?する??牲的精神?として浮上してきた。同時に、日本を?根の??
とし、外?を?枝先き?とする?本家意識?も、世界の宗?をリ?ドすべき?兄?の宗?としての天理?、という
使命感とともに成立することとなった。天理?者たちの世界救?、世界平和への希望は、宗?を?民?化政
策に動員しようとする政府側の?略に積極的に協力する形で、天皇制イデオロギ?にコミットする回路=公
共空間を自らの信仰生活の?部に作り上げた。彼らの希望が天皇制イデオロギ?形成に果たした役割とは、
日本建?の大理想を?現すべき?万世一系?の子孫である天皇、というイデオロギ?を、日本?と日本民族を
超える、世界を平和へ導く神としての天皇、という天皇の神聖性を自明化するイデオロギ?へと?回させる
ことに、決定的に寄?したことである。?前の宗???が?家イデオロギ?に密着していたことに?して、
?後において、それは?家による?力な抑?があったにせよ、宗?本?の普遍性から?家主義を?り越える
ことができず、宗?本?の?正さを曲折することであったとする?反省?の姿勢はいかがなものだろうか。な
いしは、?前の宗?者のなかでは、?純?な宗?的精神?をもって?家に?抗していた者、あるいは、?家的
イデオロギ?に?わることなく、?正な宗?者の道を?み?けた人びとも、まれではあるがいたのであり、
そういう事例を探し?ける作業もそれなりの意味はあるだろう。しかし、そのまえにまず、宗?の普遍性ㆍ
普遍主義といったものが、?家に投影された信仰的期待と希望によって?史的にあらわれたものでもあると
いう?絶望?に立ち向かうこと、その?苦?の感?を連?の絆として?悟しないかぎり、その普遍性ㆍ普遍主義
の宣揚は、いつ、どこでも、他者を同化しようとする?烈な機制として作動するのである。
저자키워드
Tenrikyo;Sankyoukaidou;World-religion;Universality;Universalism; 天理?、三??同、
世界宗?、普遍性、普遍主義
pp.439~467 (29pages)
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 한일병합전후 중국압록강유역 한국이주민의 분포
Ⅲ. 한일병합 후 압록강유역 한국이주민의 사회관계
Ⅳ. 한일병합전후 압록강유역 한국이주민의 생산생활과 풍속습관
Ⅴ. 한일병합전후 압록강유역 한국이주민의 교육과 종교
Ⅵ. 맺은말
초록
Since the middle period of the 19th century, as a result of natural disasters an
d the local government officials’ tyranny, inhabitants on the northern border o
f Korean peninsula continued to cross the border into China to reclaim wastelan
d and make a living. Especially after the mergence of Korea and Japan in 1910, t
he number of Korean immigrants forced into China increased rapidly because of Ja
pan’s barbarous colonial rule in Korea. These immigrants formed up different si
zes of kibbutz in Northeast China. Compared with those in prior times, these Kor
ean immigrants around the mergence of Korea and Japan have many characteristic
s. They had multiple motivations, complicated ways and they were widely distribu
ted. They also had new changes in many aspects such as social relations, product
ion and life, education and religion.
저자키워드
around the mergence of Korea and Japan;Yalu River Valley;the Korean immigrant so
ciety
pp.469~491 (23pages)
Ⅰ. 들어가는 말
Ⅱ. 人性多類
Ⅲ. 以禮制心:신체의 규율
Ⅳ. 성인의 도에 물들다
Ⅴ. 수신의 메커니즘
Ⅵ. 상생의 인간학
Ⅶ. 맺음말
초록
本稿は、荻生?徠(1666?1728)の人間理解の問題を江?思想史において持つ意味を明らかにしたものであ
る。?徠學は政治學と言われているように、政治的な視線において人間學も構築したところに大きな特?が
ある。社?統合のために儒學の有?性に着目した?徠は、社?共同?の維持と公的秩序の確立がなによりも
最優先の課題であった。?徠は?質の性を本然の性と見なし、多?性や個別性豊かな人間を認めた。そこに
は朱子學のように理として?えられている本善の性を回復すれば聖人になるという思惟は見られない。そし
て統一的社?を形成するために、すべての存在に必要な役割りを?えた。その人間に?えた役割りを天命と
見なすことによって??性を?調し、それによって社?の?れを防ぐことができると考えたのである。しか
し社?の分裂を防いで、社?文化の共同?を維持するためには、多?性豊かな社?を統一して、全?的な調
和をもたらす力が必要になる。?徠はこの力を聖人、?ち?代の君主に求めたのである。その君主に社?文
化を統一できる制度の制定、?ち禮?制度の制定を任務として求めた。それは君主という外部的?制力によ
る人性の統制を想定していたことになるだろう。ところが、古代の聖人の時代に作?された禮?制度は、?
史の?遷によって?わっていくので、時代に合う禮?の制定が必要になる。?って各時代、時代に必要な禮
?を制定して、それを道?の定型にするという論理が成立するのである。?徠學が幕府中心の政治學と言わ
れるのは、こうした性格があるからである。
저자키워드
Ogyuusorai;etiquette and music;temperament;nature;the body;morality; 荻生?徠、禮
?、?質、性、身?、道?
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 看護·介護分野における外?人の受け入れをめぐる議論
Ⅲ. 日比EPA交?における看護師·介護福祉士の受け入れ決定過程
Ⅳ. おわりに
초록
This paper aims to analyze the policy process of receiving of Pilipino nurses an
d caregivers under the Japan-Philippine Economic Partnership Agreement. In the c
ontext of aging society in Japan with fewer children domestically and the intern
ational pressure to open the labor market the foreign nurses and caregivers are
available answers to the problem. Even though there is a strong argument in favo
r of and against the receiving of the foreign nurses and caregivers domesticall
y, the receiving request from the economic organizations such as Nippon Keidanre
n pressing Japanese government which is concerned about the foreign labor expans
ion and at the same time it seems to have challenging effect on the progress of
the Japan-Philippine Economic Partnership Agreement. However, the policy for th
e receiving does not mean an opening of protected Japanese labor market; rather
Japanese government is using Pilipino nurses and caregivers as the bargaining ch
ip in the foreign trade negotiations. Nevertheless, these schemes may have long
term impact on Japanese economic deal with other countries in the future.
저자키워드
foreignnurses、foreign caregivers、Economic Partnership Agreement、policy proces
s; 外?人看護師、外?人介護福祉士、??連携協定、政策過程
pp.517~537 (21pages)
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. ?土宗の海外布?の開始
Ⅲ. ?土宗の朝鮮布?
Ⅳ. ?土宗の?育事業
Ⅴ. おわりに
초록
본 연구는 한일합방 이전의 죠도슈(?土宗)의 동향을 고찰하는 것이다. 포교 개시 시점인 1897년부
터 한일합방 이전까지를 연구범위로 설정하여 그 시기 조선 포교활동과 교육활동을 시야에 두어 검토한
다. 주지한 바와 같이, 당시 일본불교의 동향은 신슈오다니파(?宗大谷派)한 종파에 주목하여 일본
불교의 조선 침략주의적 성격에 중점을 두었다. 이러한 선행 연구의 성과에 대해, 본 연구에서는 한
일 합방 이전의 일본 죠도슈의 동향을 살펴봄으로써, 당시 일본 불교의 동선을 ‘근대’, ‘교육사
업’이라는 새로운 관점으로 재 고찰 하고자 한다.
저자키워드
정토종;일본불교;조선포교;교육사업;근대; J?dosh?sects;Japanese Buddhism;Korean mission
ary work Educational work;Modern
Ⅰ. 들어가는 말
Ⅱ. 일본의 고령사회와 고령자 복지정책
Ⅲ. 고령자 복지정책, 일본 복지시스템의 전환
Ⅳ. 맺음말?새로운 협력의 영역 구축의 시도
초록
21世紀に日本にとって最大の課題が早いスピ?ドで進行される高齡化であると叫ばれ、社會保障制度の拔
本的な改革が急務であると廣く認識させている。高齡者政策は、これから日本の行く道を示す里程標になる
はずである。從って、日本で高齡社會を向かえて考える福祉社會の將來は、單なる?濟や財政上の問題では
なく、むしろ新しいタイプの社會における說得あるいは意思決定の問題になると考えているらしい。小論
は、高齡者福祉政策の轉換とともにそのような日本の福祉システムを明らかにし、これからの方向性を予想
しようとするものである。そのため、本文の中でEsping-Andersenの福祉國家を分類する三つの?組を借
りて日本の福祉システムや福祉政策の特徵を說明する試みを行う。
저자키워드
高齡化、日本の福祉政策、福祉システム; Aging Society. Welfare policy in Japan;Welfare s
ystem
pp.559~583 (25pages)