1. ‘한류’에서 ‘신한류’로의 사회적ㆍ문화적 구조 변동
2. 단일 이미지 캐릭터로 소비되는 신한류 스타
3. 일본ㆍ한국 예능문화 구조와 갈등하는 신한류 스타
4. 신한류 시대의 놀이 방식의 다양성ㆍ다중성ㆍ이질성
5. 신한류의 글로벌화에 있어서 ‘공생적 소비’
1. ?韓流?から?新韓流?へ社?的ㆍ文化的構造?動
2. ?一のイメ?ジキャラクタ?で消費される新韓流スタ?
3. 日本ㆍ韓?芸能文化構造と葛藤する韓流スタ?
4. 新韓流時代における遊び方の多?性、多重性、異質性
5. 新韓流のグロ?バル化における?共生的消費?
pp.35~61 (27pages)
Abstract
1. はじめに
2. 象?的復興とは何か
3. 復興儀?論
4. 象?の復興
5. 象?の?義性
おわりに
참고문헌
초록
??、被災コミュニティの復?ㆍ復興は、自然科?系の分野、とりわけ土木工?的な知識と技術が動員され
ることによって、都市計?の?本的な見直しや再開?という方向で進められてきた。このように、復興?念
が土木工?的な知識と技術に依?している限り、復興の中味も、土木工?的によりよいものを作ることに?
着する。しかし、被災コミュニティの復興には、ハ?ドだけではなく、ソフトな面への配慮ㆍ工夫が必要だ
という認識が??的には?づかれている。ソフトという言葉であいまいに表現されている??的な知識を明
確に?念化し、理論的に根?づける作業が必要となる。そこで、本稿において、新たに提示されるのが、象
?的復興という考え方である。
象?的復興という考え方の前提には、人びとが?これで復興したな?という?感が得られなければ、土木工?
的をはじめとする客?的な基準では復興しているとみなされたとしても、復興は達成できていないという認
識がある。復興は人びとの象?的な意味?系のレベルで?現されるものなのである。それゆえ、人びとが復
興感を獲得するためには、象?的なレベルで復興を作り出す儀?への製作論的視点の整備が必要となる。
저자키워드
象?的復興、復興儀?、復興創出機能、文化的資源、コミュニティ
pp.83~103 (21pages)
시작하며
2. 상징적 부흥이란 무엇인가?
3. 부흥의례론
4. 상징의 부흥
5. 상징의 양의성
마치며
pp.63~81 (19pages)
Abstract
Ⅰ. 들어가며
Ⅱ. 선행연구의 검토 및 본 논문의 입장
Ⅲ. 불가능의 원인ㆍ이유를 나타내는 조건표현
Ⅳ. 『도라아키라본(虎明本)』의 불가능의 원인ㆍ이유를 나타내는 조건표현 분석
Ⅴ. ?是非におよばぬ?ㆍ?~(よ)うがない?에 선행하는 조건구
Ⅵ. 맺으며
참고문헌
초록
本論文は『虎明本』に表れている不可能の原因ㆍ理由の?件表現を考察したものである。『虎明本』に表れ
ている不可能の?件形式にはホドニㆍテㆍニヨッテㆍトコロデㆍバㆍアイダㆍニなどがある。これを?谷勝
己(1993)の不可能の?件意味に適用させて、不可能の原因ㆍ理由を表す?件形式がどういう?相に出現す
るかを分析した。
ホドニは<心情ㆍ性格?件><能力?件><外的?件>、テは<心情ㆍ性格?件><外的?
件>、ニヨッテㆍトコロデㆍバは<能力?件><外的?件>、アイダㆍニは<外的?件>と結合する傾向が高
い。また、『虎明本』における原因ㆍ理由を表す代表的な?件形式はホドニとニヨッテであるが、原因ㆍ理
由の?容が不可能を表す場合、その代表的な?件形式はホドニとテになる。
저자키워드
도라아키라본;불가능표현;외적조건;내적조건;심정ㆍ성격조건;능력조건 Toraakirabon;Expression
s of Impossibility;Exterior Causes;Interior Causes;Emotional Causes;Ability Caus
es
pp.105~127 (23pages)
Abstract
Ⅰ. 序論
Ⅱ. 本論
Ⅲ. 結論
참고문헌
초록
韻鏡の3等韻には、切韻音まで重脣音(幇ㆍ滂ㆍ竝ㆍ明母)であったものが秦音に至って輕脣音(非ㆍ敷ㆍ奉
ㆍ微母)に?わっている韻が存在する。それは、微ㆍ廢ㆍ虞ㆍ尤ㆍ陽ㆍ東(3等)ㆍ鍾ㆍ文ㆍ元ㆍ凡韻の10ヶ
韻に現れ、東(3等)韻と尤韻の明母字以外は全て輕脣音に?わっている。
本稿では、輕脣音の出現する10ヶ韻の中で、陰聲字に該?する微ㆍ廢ㆍ虞ㆍ尤韻の4ヶ韻について、各?漢
字音の比較分韻表を作成して、唐代の秦音で?生した輕脣音がどのように反映されているかを考察した。そ
の結果をまとめると次のようになる。
1)吳音は、南北朝期の南方系字音を母胎にしているので、時期上、輕脣音を反映しない。
2)漢音は、日本語の音韻體系上、p系の重脣音とf系の輕脣音との區別が存在しないので、聲類においては
輕脣音の反映が見られないが、韻類には輕脣音を明確に反映している。元韻ㆍ尤韻においては、牙喉音字と
脣音字との字音形の相異から確認できる。
3)韓國漢字音は、聲母においては、輕脣音の反映が全然見られない。ただし、韻母においては、輕脣音を
反映する層と輕脣音を反映しない層が混在しているが、輕脣音を反映しない層の比率が?かに高い。秦音の
反映は、尤韻明母の-o形에から確認できるし、他の音形からは韓國漢字音が秦音以前の層を母?にしてい
ることがわかる。
4)越南漢字音は、聲母と韻母、?方とも輕脣音を反映している。まず、聲母においては、幇ㆍ竝母をbで、
非ㆍ奉母をphで、そして、明母をmで、微母をvで弁別して受容していることから輕脣音を反映しているこ
とがわかる。しかし、聲類ㆍ韻類母ともに、輕脣音化以前の層が混在いている。微韻の-i形、廢韻の-?
形、虞韻の-o形と-u形、尤韻の-u形等は輕脣音化を反映している字音形であり、微韻の-ji形、虞韻の-?
形と-?:u形、尤韻非ㆍ敷ㆍ奉母字の-?u形と-uu形等は輕脣音化以前の層を母胎にしている字音形である考
えられる。?って、今まで、秦音を母?にしていると知られている越南漢字音については、各韻別の詳しい
?討が要求される。
5)チベット資料も、聲母と韻母、?方とも輕脣音を反映している。聲母においては、微母がo、u、wなどの
母音で現れることから輕脣音を反映していることがわかる。しかし、聲類ㆍ韻類母ともに、輕脣音化以前の
層が混在いている。微韻の-i形は輕脣音化を反映している字音形であり、微韻の-ji形と-e形は輕脣音化
以前の層を母胎にしている字音形であると考えられる。
저자키워드
輕脣音;重脣音;漢音;字音形 Labiodental;Labial;sino-japanese kan’on;Notations of chin
ese characters
pp.129~145 (17pages)
金庚洙
Abstract
Ⅰ. 들어가기
Ⅱ. <げ>유형의 형용동사
Ⅲ. <げ>유형의 형용동사의 사용실태
Ⅳ. 『源氏物語』 ≪夏目漱石≫ ≪天?人語≫의 <げ> 유형의 형용동사
Ⅴ. <げ> 유형의 형용동사와 <そうだ>
Ⅵ. 맺음말
참고문헌
초록
本稿では??しげ???足げ??自慢げ??確信ありげ?のように形容動詞を形成する接?<げ>を考察對象とし
て、その意味用法を檢討し、<げ>型の形容動詞の?史的變遷過程を探った。具體的には?怪しい:怪しげ?
のように共通語基から分岐した形容詞と<げ>型の形容動詞の意味的關係と、<げ>型の形容動詞の使用實
態、更に古典語において多用された<げ>型の形容動詞が現代語において數的に急激に減少した理由につい
ては樣態の助動詞<そう>の出現に?連づけて考察した。考察內容をまとめると以下の通りである。
1. 同一の語基から分岐した形容詞と<げ>型の形容動詞において、形容詞が連?修飾語として使われる場合
には、事實に基づいた話者の感情を直接的に表現している場合が殆んどで、<げ>型の形容動詞が連?修飾
語として使われる場合には、主に、自分の感情であっても斷定しにくい曖昧な感情を表現したり、第3者ま
たは他の對象の感情を推し量って表出するという点が確認される。
2. 一方、6種類の日本語辭典に提示された<げ>に?する記述に基づいて<げ>の意味用法を探った結果、<
げ>型の形容動詞の<げ>は、主にと<感じ>に相當する意味を表しており、その他にも<雰圍氣>等の意味も?せ持っているものとして現れた。一般的に話者の主觀的な感情を表すものは形容詞の語幹に
<げ>が接續する傾向を、話者の狀態や姿を表現する場合には形容動詞に<げ>が接續する傾向を見せてい
る。<げ>は少數ではあるが、人の情緖に關與する名詞にも接續して人の感情を表したり、<名詞(が)+あり
げ>のように動詞から派生した<げ>型の形容動詞も、かなり制限的な形態ながら使用されているといった点
も指摘される。
3. 『源氏物語』で比較的、使用頻度の高かった<げ>型の形容動詞が、現代語の資料である≪夏目漱石≫
の作品と≪天?人語(2008年)≫において、その使用語例と出現頻度が減少している。その理由について本
稿では、<げ>型の形容動詞に代わる新たな文法形式である樣態の<そう>の登場が主な要因としてはたらい
たものと解した。特に≪夏目漱石≫の作品では、この点を克明に示しており、そこにおいて使用された<げ
>は、樣態の<そう>に置き換えることができ、意味的にほぼ同價を表しているという点を本稿で指摘し
た。
4. 以上の檢討結果に基づいて、<げ>型の形容動詞と<形容詞+そうだ>との相關關係を記すと次のように
まとめられる。時代別の言語資料での<げ>型の形容動詞の消長を探ってみると、古典語から現代語に移行
しながら口語體形式の文の使用が?え、それによって口語體の文章に馴染みやすい<形容詞+そうだ>が使
われた文の使用頻度が高くなり、その結果、文語體色の濃い<げ>型の形容動詞の表現が相對的に減少する
契機としてはたらいたものと解される。
저자키워드
affix;Ge;nominal adjective;semantical usage;syntactical usage 接?、<げ>、形容動
詞、意味用法、使用?態
pp.147~176 (30pages)
Abstract
1. 들어가며
2. 작가의 이해와 연구의 의의
3. 『苦海?土』가 다른 기록문학과 다른 점은 무엇인가?
4. 『고해정토』는 무엇을 어떻게 기록하고 있는가?
5. 나오며- 『苦海?土』
참고문헌
초록
1954年、日本熊本?にある水?市を中心とした不知火海に面した漁村に、原因不明の奇病が流行り、それ
から14年たった1968年の9月にやがて、日本政府は水?病がチッソが不知火海に流した排水に含まれたメ
チル水銀による公害病であることを正式に認定した。そして1969年、石牟?道子の『苦海?土-わが水?
病』という小?が出版されたが、これは水?病の事?的??を日本だけでなく全世界にまで知らせるきっか
けとなり、政府とチッソの?行および被害患者たちの現?を告?するなど、記?性と告?性に?ちた文?作
品として注目を集めた。
本稿はそのような『苦海?土-わが水?病』が何を、どのように記?しているかを考察することによって、
「近代資本と民衆との?係」と、それによる水?病患者たちの苦しみや傷つけられた故?(海)を記?した
「記?主義小?」であることを見極めようとした。そのためには予め、石牟?道子と『苦海?土-わが水?
病』に?しての基本的な理解が必要であろうと思い、先行?究と作品紹介に枚?を費やした。それから本格
的な?究に入っては、「4.1チッソ?社の?史」「4.2水?病の??」「4.3近代資本の弊害と水?病以前
の故?」と、三つの?点から作品を分析し、そこから『苦海?土-わが水?病』が、石牟?道子ならではの
記?主義作業が産み出した小?であることを確かめてみた。また、本稿をもって、『苦海?土-わが水?
病』をはじめ、石牟?の文?が追究している理想?と故?との?係について、及ばずながらも推し測ること
ができるだろうと期待する。
저자키워드
이시무레 미치코;미나마타병;근대자본과 고향;기록주의 Ishimure Michiko;Minamata disease;Mo
dern capital and Birthplace;History note
pp.177~203 (27pages)
Abstract
1. 들어가며
2. 마에시테(前シテ) - 에보시오리(烏帽子折)의 조형
3. 노치시테(後シテ) - 구마사카 조한(熊坂長範)의 조형
4. 고카타(子方) - 우시와카마루(牛若丸)의 조형
5. 맺음말을 대신하여
참고문헌
초록
源義?は、その活躍の鮮烈さと不遇の晩年、悲劇的な最期から、古くから多くの人?を集め、日本史上最も
有名な英雄の一人に?えられる?その謎に包まれた生涯は世人の興味を引き、??な??、物語を産んだ?古
くは『平家物語』などの一連の軍記物で形象化され、室町時代の『義?記』で極端な??化の頂点に達し
て、さらにはそこから枝分かれする?に色?な物語が派生して、能や幸若舞、?瑠璃、歌舞伎などで「判官
物」といわれる芸能が多?生まれるに至った?
本稿では、一連の判官物の中で、牛若丸から源九?判官義?への門出を描いた作品として注目すべき能〈烏
帽子折〉を中心に、周?の文芸との交?に留意しつつ、その人物像を具?的に把握していきたい?同?のエ
ピソ?ドは、『義?記』では?第二「鏡の宿吉次が宿に??の入る事」と「遮那王殿元服の事」に記され、
語り物では幸若舞「烏帽子折」として作品化されている?しかし、この三つの作品の先後?係については不
明な点が多く、要するに現存テキストより一段階前における、それぞれの錯綜した?係において考える必要
がある?
もともと義?の生涯には謎が多く、それだけに??の?承が語り?えられ、それが日本人一般の中にある義
?像を作り出したと言える?『義?記』や幸若舞「烏帽子折」を?照しながら、能〈烏帽子折〉の前場に現
れる烏帽子折の亭主と、後場の熊坂長範、そして?質的な主役と言える牛若丸のキャラクタ?について考察
し、義???が文芸を媒?として?散していく過程を?討してみたいと思う?
저자키워드
Eboshi-ori;Hogan-mono;Minamoto no Yoshitsune;The Legend of Yoshitsune;Noh Drama;
Yokyoku 烏帽子折、判官物、源義?、義???、能、?曲
pp.205~228 (24pages)
Abstract
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. コスモロジ?(異界)の構造
Ⅲ. 母の愛
Ⅳ. むすびに
참고문헌
초록
本稿はコスモロジ?(異界)の構造と杜子春の人間愛を通した<母の愛>について追究してみた。まとめてみ
ると、以下のようである。
一つ目は、そのコスモロジ?は仙界と地獄(六道世界)から成ることであった。杜子春の魂は天上に上昇す
るのではなく地獄に下降し、まず手始めに肉?的な呵責を受ける。そこでの?しい苦行がいわゆる冥界訪問
の話型と結びついて、いつのまにか地獄での苦行へと移行し、そこで畜生道へ?ちていた父母を幻視すると
いうものであった。
二つ目は、杜子春の人間愛を通した<母の愛>についてさぐってみた。その一、母親の杜子春への愛は無償
の愛であった。その根底に芥川の母親不在のコンプレックスを想定することができた。その二、非人間化の
道を?もうとしていた杜子春の回心のきっかけを?えたのが<母の愛>だった。その三、仙人の矛盾する言
葉からくる杜子春のアポリアは、?っていなければ仙人の術は得られず、?っていれば殺されるということ
になる。そこには看過しえない二つの問題がひそんでいた。その一つは、仙人の矛盾する言葉である。もう
一つの問題は心根の優しい母親がどうして地獄の畜生道に?ちたりしなければならないのかということで
あった。
저자키워드
Liberation of knowledge;Course diagonally lichen structure;Love of mother;Axial
student of hell <知>の解放、コスモロジ?の構造、母の愛、地獄の畜生道
pp.229~244 (16pages)
Abstract
Ⅰ. 들어가며
Ⅱ. 본론
Ⅲ. 맺음말
참고문헌
초록
近世後期の人情本作者の代表として、まず名前が?がるのは、?永春水であろう。春水は『春色梅?』シ
リ?ズや『春告鳥』などの作品で成功を?め、人情本の元祖を名?るほどの名?を得た。このため、春水人
情本の三角?係から?がる濃密な?愛場面の描?や、女性の衣?に?する細かい描?などの特?が、そのま
ま人情本全般の特?として認識されてきた。しかし、場面の描?に集中し、時には場面と場面の時間順が逆
?したりする、いわゆる春水流の構成のため、春水の構成力が疑問しされてきたのも事?である。ところで
『春色梅?』の時間的背景を分析してみると、各場面ごとに?日を?えており、?者の?容展開を把握しや
すくしていることがわかる。また、神?の力によって事件が解決されるのは、近世?作の常であるが、春水
は?日を使うことによって、それなりの蓋然性を確保し?者を納得させている。そして春水は、その各?日
の?子や風物詩をつぶさに描?しておくことによって季節感をあらわし、情?的な雰??を漂わせることで
?者が主人公の?愛に?入しやすくもしている。したがって、春水の?日を時間的背景に使う工夫も、春水
人情本が大きな人?を納めるに重要な要因の一つであると考えられる。
저자키워드
『슌쇼쿠우메고요미』;다메나가슌스이;연일;시간적 배경;계절감 『春色梅?』、『春色梅兒譽美』、?
永春水、?日、時間的背景、季節感
pp.245~265 (21pages)
Abstract
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 고려 말 대왜인 정책과 ‘무로마치 왜구’
Ⅲ. 조선 초의 대왜인(對倭) 정책과 그 변용
Ⅳ. 맺음말
참고문헌
초록
Wakou appeared in the early of 13th century. After 1350, Wakou often invaded Gor
yeo kingdom and caused considerable damage in its society and economy. Goryeo ki
ngdom dispatched an envoy to Japan for the checking of Wakou from 1360’s.
In 1370’s, Goryeo kingdom carried out the military sanction in order to check t
he Wakou aggression. For example, Goryeo kingdom won a signal victory in Jinpo,
Hwangsan and Gwanyeumpo through gunpowder weaponry and gone on a conquest of Tsu
shima. In other words, Goryeo kingdom tried to check Wakou through the power of
diplomacy and military. But these polices of Goryeo kingdom hesitated to say pos
itively their success. Because Wakou was not eradicated.
Meanwhile, Joseon kingdom adopted a policy that was very amicable toward the Jap
anese to maintain the peace and the stability. As a result, the number of Japane
se that lived in Josenon kingdom increased rapidly as compared with Goryeo kingd
om. Joseon kingdom satisfied the demand of Japanese that lived in Josenon kingdo
m and implemented the friendly police. For example, Joseon kingdom has been sett
led the Japanese in three ports and carried out the economic aid.
Then, these polices needed many economic aid. According to historical records, t
he total cost of these polices are very similar to the grain supplies that Wako
u has plundered from Goryeo kingdom. Ultimately, the economic aid of Joseon king
dom to Japanese is of a degree that Goryeo kingdom is plundered by Wakou.
Therefore, the peace of Joseon kingdom is able to be kept by shouldering the eco
nomic burden. This is the choice of Joseon kingdom and the peacekeeping cost to
the peace of Joseon kingdom and East Asia.
저자키워드
고려;조선;무로마치;왜구;약탈;3포;진포;황산;관음포;해동제국기;경국대전;평화유지비용 Goryeo;J
oseon;Muromatsi;Wakou;Plunder;Three Ports;Jinpo;Gwaneumpo;Peacekeeping Cost
pp.267~284 (18pages)
Abstract
1. 들어가며
2. 덕성함양을 위한 창가교육
3. 황국신민으로서의 정조함양을 위한 창가교육
4. 나오며
참고문헌
초록
本稿では日本?占期、植民地朝鮮の初等學校で?施された唱歌を通して、初等學校の唱歌科目に反映された
?育政策を穿ってみることを目的とした。ゆえに筆者は各時期別に朝鮮總督府が編纂した唱歌敎科書を調査
ㆍ檢討し、敎育政策の?化に從って改訂された唱歌?科書の內容を導出してみた。
韓日倂合の後、朝鮮の初等學校で用いられた唱歌敎科書は朝鮮總督府が編纂したものに限られていた。朝鮮
總督府に編纂された唱歌敎科書の?遷過程を見ると、植民地政策と直接的な?わりを持っていて、政策が?
わると唱歌敎科書もそれに?って?わっていった。
<1ㆍ2次?育令>期には、‘忠良なる?民の育成’という?育目的において、帝?臣民の育成のための資
質と品性などを注入させようと唱歌?科書に勤?、貯蓄、節約、職業的陶冶等の?目を配置した。<3ㆍ4
次?育令>期は本格的な??に吸い?まれることによって、?育のたいていの?容が?時?系に合わせて改
編され、?育の目的も皇?臣民化に?わった。唱歌科目も皇?臣民としての情操涵養を根本方針におき、唱
歌?科書の?容には日本精神を露骨的に鼓吹しようするとか、??に人的ㆍ物的動員を的にするとかなど、
忠君愛?の思想と軍國主義的な色彩を反映したものがその大部分を占めているといえよう。
本稿は、それぞれの時期の<朝鮮?育令>の改定に?って?化された唱歌?科書の分析を通じて唱歌科目の
目的と朝鮮の?生たちの情?に大多に影響されたことを明したことに意義があるといえよう。
저자키워드
Japanese Cololnization;a colonial education;singing;the Japanese Empire 日帝强占
期、植民地敎育、唱歌、日本帝國
pp.285~306 (22pages)
Abstract
Ⅰ. 서론
Ⅱ 본론
Ⅲ. 결론
참고문헌
초록
本論文は‘古朝鮮’の??的解明を目的とする。筆者はその目的を果たすに?たってこれまでのナショナリ
ズムの視角やリジョナルリズムの視角の限界を克服するための一方策としてグロ?バリズムの立場をとって
南の?河文明、中央アジアのアルタイ文明、西アジアのメソポタミア文明などに?連させてて遼河文明を背
景にして成立した‘古朝鮮’の??的解明を試みた。その結果は次のように整理されることができる。
筆者はこれまでのナショナリズムの視角やリジョナルリズムの視角の限界を克服するための一方策としてグ
ロ?バリズムの立場をとって南の?河文明、中央アジアのアルタイ文明、西アジアのメソポタミア文明など
に?連して遼河文明を背景にして成立した‘古朝鮮’?の??的解明を試みた。その結果は次のように整理
されることができる。
‘檀君朝鮮’は西アジアのメソポタミア地方、中央アジアのアルタイ地域などから初期?銅器文化が?播さ
れ、それが遼河地域での前期?銅器文化(2500~1200、BC)に定着していく過程で成立してきた。民族的に
はそれがアルタイ山脈ㆍハンガウィン山脈以北のバイカル湖ㆍ?龍江ㆍ松花河流域等の出身の熊ト?テム民
族である穢族を先住民にして、南シベリアエに位置している東アジアㆍアルタイ地域ㆍモンゴル地域などへ
と?がっている北方草原地?の草原路を通じて?播された初期?銅器文化の洗?を受けて形成された 貊族
を侵入勢力として形成された人間集?であったと考察される。政治的には、それが西側の遊牧民出身であっ
た貊族を支配民族にして、先住民の狩?ㆍ漁撈民であった穢族を被支配民族にして、前期?銅器文化が形成
された時点、すなわち『三?遺事』の著者一然が言った紀元前2300年頃を前後して建立された古代?家で
あったと考察される。
‘古朝鮮’は、全期の‘檀君朝鮮’と後期の‘穢貊朝鮮’に?分される。前期の‘檀君朝鮮’は、大同江流
域の平?地域で形成されたのではなく遼河地域の大凌河の上ㆍ中流域に位置する朝陽一?で出現した政治的
??であると把握される。だから、それの政治的中心地は大凌河上流にある牛河梁遺跡の近くに住んでいた
熊ト?テム民族を主軸にして朝陽一?で形成され、中原地域で夏(成立2070年頃)が設立される以前に遼河
地域の?河下流の白岳山地域に南下していたものと考察される。その後、‘檀君朝鮮’は、中原地域で紀元
前18世紀頃に遼河地域から南下した東夷族が建?した 商王朝(1766~1122、BC)と長期間南北に?立して
行った。そうしていくうちに商が西アジアからの?器文化の?播を背景にして中原地域で出現した華河族が
商を崩し周王朝(1122~256、BCを設立した。それがきっかけになって、中原文化が遼河地域へと北進する
ようになった。そのような政治的?況に法って、‘檀君朝鮮’の場合も再び原出現地である朝陽一?へと
?っていくことになった。‘檀君朝鮮’は朝陽地?の近くの藏唐京、つまり今の阜新という地域に政治的な
中心地に移?させた。‘古朝鮮’はこのような政治的中心地の移動を契機として、‘檀君朝鮮’より‘穢貊
朝鮮’に?換した。このような?換は貊族を支配層とした‘檀君朝鮮’の政治的中心地が?時穢族の居住地
であった中流と遼河中流の間に位置していた藏唐京地域への北上をきっかけにして行われたものだっ
た。‘穢貊朝鮮’は、その地域で?河の下流地域にある箕子朝鮮と近10世紀間?峙していた。そうしてい
くうちに、それは最終的に漢武帝が箕子朝鮮の後身衛?朝鮮を滅亡させた、その翌年である07年に滅亡し
たものと考察される
このように‘古朝鮮’は遼西地域で前期?銅器文化が形成していくる過程で、‘檀君朝鮮’という形で、紀
元前2300年頃に遼河地域の大凌河の上ㆍ中流域で出現した。それでまたそれは、中原地域における商ㆍ周
の交替期には、それが大凌河の中流域と遼河中流の間の藏唐京地域で‘穢貊朝鮮’に?換していき?河の下
流地域の箕子朝鮮と?峙して行ったものと考察されているのだ。
저자키워드
Old Chosun;Tankun Chosun;Kiza Chosun;Tankun Myth;Kojiki Myth;Jomon Earthenwarw;M
ichiyo Naka 古朝鮮、檀君朝鮮、箕子朝鮮、檀君神話、『古事記』神話、?文土器、那珂道世
pp.307~339 (33pages)
Abstract
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. ?加害者意識?とは
Ⅲ. ?加害者意識?の行方
Ⅳ. おわりに
참고문헌
초록
本?究は、1970年代前半、日本の新しい女性解放運動として登場した、ウ?マンㆍリブの「加害者意識」
の分析である。まず、その思想を「被害者意識」からの決別、アジア女性に?する日本女性の「加害性」の
認識、?者の抑?の連?性に?する認識の三点に分けて考察する。次に、1970年代後半、日本の主流の女
性運動が大きな?換期をむかえる中で、ウ?マンㆍリブの「加害者意識」が、いかに?承、あるいは失われ
たのかを考察する。1975年に開かれた?際婦人年世界?議における、先進?女性運動に?する第三世界女
性の批判について、日本女性?加者がどのように反?したかを分析し、70年代後半における日本女性の
「加害者意識」のあり方を考える。そして最後に、70年代後半における日本の主流の女性運動のなかで、
ウ?マンㆍリブの考え方がいかに衰退したかを分析する。
저자키워드
Women'Movement in Japan;Victimizer Consciousness;Sense of Victimization;Internat
ional Women'sYear;Women on the Home Front;History of the Home Front 日本女性運動、
「加害者意識」、「被害者意識」、?際婦人年、「銃後の女」、銃後史
pp.341~367 (27pages)
Abstract
Ⅰ. 序論
Ⅱ. 17-18세기 官撰地圖와 ‘三島領土觀’
Ⅲ. 19세기 ?伊能圖?와 ‘三島領土觀’의 붕괴
Ⅳ. 메이지(明治)시대 ‘四島領土觀’의 정착
Ⅴ. 結論
참고문헌
초록
本稿は江?時代から明治時代に至るまでの日本の官撰地?を素材にして、日本の領土認識の?化を前近代の
「三島領土?」の崩?と「四島領土?」の定着という?点から糾明したものである。その論点を要約すれ
ば、第一は、江?幕府が製作した17-18世紀の官撰地?(「?永日本?」ㆍ「正保日本?」ㆍ「元?日本
?」ㆍ「享保日本?」)に見える領土認識は、基本的に九州ㆍ四?ㆍ本州及びそれらの附?島嶼という「三
島領土?」に基づいていたが、次第に蝦夷地を含めた「四島領土?」へと?化する過渡期的な位置を占めて
いるということである。第二は、伊能忠敬の「伊能?」は日本最初の?測地?でもあるが、この地?の製作
によって、18世紀から日本には蝦夷地(現、北海道)が含まれた「四島領土?」が出現し、これによって?
統的な「三島領土?」は崩?しはじめたということであり、第三は、江?幕府最後の地?として1867年に
刊行された「官板?測日本地?」は「伊能?」と共に日本の「三島領土?」の崩?に終止符を打った地?で
あって、特に日本の領土膨脹と紛?の序曲のような地?であったと評?できる。第四は、江?幕府の崩?と
ともに前近代の領土認識としての「三島領土?」は、明治政府の成立と共に「四島領土?」に?化し、これ
に伴って前近代の地?とは完全に異なる新しい形式の地?が製作され始めたという点である。換言すれば、
近代以後の日本は地?に、中央には九州ㆍ四?ㆍ本州、上段には北海道と千島列島、下段には琉球列島を位
置させることで、九州ㆍ四?ㆍ本州ㆍ北海道及びこれら附?島嶼の膨張を基盤にした「四島領土?」を?化
させて行ったのである。
저자키워드
government published maps;private published maps;Three Islands territory view;Fo
ur Islands territory view;Inouzu;Kuniezu;Gyokizu 官撰地圖;私撰地圖;三島領土觀;四島領
土觀;伊能圖;國繪圖;行基圖
pp.369~397 (29pages)
Abstract
Ⅰ. 서론 - 문제의식
Ⅱ. 대장성(大藏省)의 개요
Ⅲ. 대장성의 개혁 및 재편 배경-아마쿠다리(天下り)와 관료부패를 중심으로
Ⅳ. 대장성 개혁 초기의 성과 및 그 특징-2001년 성청개편 직후의 상황을 중심으로
Ⅴ. 결론 -요점 및 시사점
참고문헌
초록
本?究を通じて、次のような幾つかの?容と意義を導くことができた。?ち、まず大藏省は、すでに1300
年前から政府機?として存在したもので、とくに戰後の時期において改革の必要性が唱えられたのが明らに
なった。しかも、大藏省は長い間、豫算編成權と金融行政において、監視及び監督機能を持つ政府機關で
あって、「官廳中の官廳」或いは「官僚中の官僚」として知られるほど、他の機?より相?的に?い?限を
もつ組織であった。
しかし、大?省は、政?官?財による癒着構造と天下り慣行などは、一般の?民から非難の?象になり、とく
に1990年代の??な事件との?連は、信?性を失う決定的な契機になった。その煽りで、大藏省は2001年
の省廳改革により解體對象になり、財務省に再編されるとともに、財政及び金融行政において??の權限と
組織が大幅に縮小された。その後、天下りを縮小しようとする政府次元での??な努力があったにもかかわ
らず、その慣行には劃期的な變化が見られず、政策手段においても限りがあるのがわかった。
ここで、本硏究の主な問題意識である、天下り慣行が日本社會において大きな改善が見られない理由は、次
のように指摘しうる。つまり、ケ?リア官僚の早期退職慣行、退職官僚の職業選擇の自由、エリ?ト官僚の
?該分野での專門知識, 天下り先の官僚がもつ人的資源に?する需要、政治及び旣得權層の道德的な解弛
と人事權の濫用、そして規制手段の限界など、日本政治及び社會の獨特な環境と構造によるものであると言
えることができよう。
저자키워드
Okurasho;Amakudari;The financial administration;Government reform 大藏省、天下り、
財務部、政府改革
pp.399~422 (24pages)
Abstract
Ⅰ. 序論
Ⅱ. 東海の海洋境界?定
Ⅲ. 東中?海の海洋境界?定
Ⅳ. 南北韓の海洋境界?定
Ⅴ. ?際法上境界の意味と漁業協定
참고문헌
초록
韓?と日本が位置する北東アジアは?連海洋法?約に規定されている閉鎖海または半閉鎖海に該?する。そ
のような地理的な特?は周?沿岸?をして海洋問題についての協調?制をつくらざるを得ないようにした。
ところが、海洋境界?定についての各沿岸?の立場は必ずしも同?でないため、現に??な?立と葛藤が現
われている。具?的に、海洋境界の不在のところに、海洋科?調査、海洋環境の保全、漁業などをめぐる軋
轢が?著であった。したがって、各沿岸?は、海洋法?約の精神を?現するために、そのような諸問題を解
決して安定的な海洋秩序を構築すべき責務を負っている。
この?究では、そのような問題解決の文脈のなかで、韓?と日本がかかえている海洋境界?定についてのい
くつかの問題を?討する。境界の?定すべき各海域別に問題点を分析し、さらに海洋境界のもつ根本的な意
味を?討する。韓日??はお互いを含む周??との漁業協定で境界?定問題を棚上げにした。??間の各漁
業協定は、境界?定を棚上げにした部分、つまり、暫定水域及び中間水域のため、自?でも相?問題になっ
た。いずれにしろ、合理的な立場を踏まえて、海洋境界に伴う諸問題を解決しなければならない。
저자키워드
Bounary Delimitation;East Sea;East China Sea;Fisheries Agreement 境界?定;東海;東
中?海;漁業協定
pp.423~446 (24pages)