첫 번째 문제와 관련하여
두 번째 문제와 관련하여
pp.7~15 (9pages)
?于第一???
?于第二???
pp.17~23 (7pages)
一. 朝鮮俳壇の問題
二. 朝鮮詠の俳域
三. 木浦の朝鮮俳人朴魯植
四. 朴魯植から村上杏史へ
pp.43~56 (14pages)
1. 조선 하이쿠(俳句) 문단의 문제
2. 조선 시가(朝鮮詠)의 하이쿠 권역(俳域)
3. 목포의 조선 하이쿠 시인 박노식
4. 박노식에서 무라카미 교시로
pp.27~42 (16pages)
Ⅰ. 들어가는 말 : 식민지/콜로니아/식민(植民)
Ⅱ. 20세기 일본인의 이민
Ⅲ. 브라질의 일본어 문학
Ⅳ. 일본어 신문들에 연재된 소설
Ⅴ. 1932년의 식민문예 단편소설대회
Ⅵ. 식민문예에 대한 메타 담론
Ⅶ. 이후의 전개
Ⅷ. 결론
참고문헌
pp.57~88 (32pages)
1. Introduction: Colonial/Colonia/Shokumin
2. Japanese Emigration in the Twentieth-Century
3. Japanese-language Texts in Brazil
4. Serialized Fiction in Japanese Language Newspapers
5. The 1932 Shokumin bungei kensh?o tanpen sh?osetsu Competition
6. The Metadiscourse on Shokumin(chi) bungei
7. Subsequent Developments
8. Conclusions
pp.89~128 (40pages)
들어가며
1. 내지인사회에 있어서의 계급문제
2. 빛바래져 가는 향수
3. 여성노동자에의 시선과 우생학
나오며 - 이민삼부작에 보이는 내지인사회의 권력구조
[부기]
pp.129~146 (18pages)
はじめに
1. ?地人社?における階級問題
2. 色あせてゆく?愁
3. 女性??者への眼差しと優生?
終わりに ? 移民三部作に見られる?地人社?の?力構造
[付記]
pp.147~163 (17pages)
Abstract
Ⅰ. はじめに:日本語?育における文化?育
Ⅱ. イデオロギ?的形成の定義と考察
Ⅲ. 本?究のデ?タ?明
Ⅳ. 日本語?習者のイデオロギ?的形成
Ⅴ. おわりに
참고문헌
초록
本稿は、近年第二言語習得?究や第二言語?育において注目されてきたバフチンの言語哲?から「イデオロ
ギ?的形成」の?念を取り上げ、日本語?習者の文化?習における?察や?づきを通して、?習者のイデオ
ロギ?的形成の一過程を考察するものである。日本の大?の文化クラスの課題として行われた1?期間の
ジャ?ナル活動で、?習者が記述した日常の日本語環境における言語??に、イデオロギ?的形成の過程に
ある?習者のことばと文化に?する視点を探る。
ジャ?ナルの記述に見られたことばを巡る?習者の??な言語??を?討することで、バフチンがイデオロ
ギ?的形成の過程として定義付けた?他者のことばの選?と自己のことばの獲得?が明らかになり、文化?習
を通して?習者のイデオロギ?的形成が?達するにつれ、ことばを契機にして生じる?習者の葛藤や意識上
の??が窺える。そうした葛藤や意識上の??において、?習者は、日本文化を背景とする人?が望ましい
としてきたことばの選?やその使用に疑問を持ち、「他者のことば」と「自己のことば」を振り返り熟考す
る??を積み重ねながら、イデオロギ?的形成を?達させていく。このようなイデオロギ?的形成の?点か
ら日本語?習者の文化?習における?察や?づきを考察し、?習者が自らの視点でことばと文化を捉えてい
く?相を提示した点において、本?究は意義あるものと思われる。
저자키워드
文化?習;イデオロギ?的形成;ジャ?ナルㆍアプロ?チ;ことばの選?と獲得; Cultural Learning;Id
eological Becoming;Journal Approach;Selection and Appropriation of Discourse
pp.165~185 (21pages)
Abstract
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. 「お出かけになる」と「出かけられる」の使用?態とその使用上の基準
Ⅲ. 「お登りになる」と「登られる」の使用?態とその使用上の基準
Ⅳ. 「お?りになる」と「?られる」の使用?態とその使用上の基準
Ⅴ. おわりに
참고문헌
초록
本稿では日本聖書協?刊行による新約聖書(新共同?)の4福音書を言語資料として、ナル型敬語とレル型敬
語が混用されている例の中から、「お出かけになるㆍ出かけられる」「お登りになるㆍ登られる」「お?り
になるㆍ?られる」を?象に、これら尊敬語形式の使用?態の具?的な?討により、ナル型敬語とレル型敬
語の使い分けに?わる使用上の基準について再度吟味した。その結果、該?尊敬語形式の決定に直接?わる
??的な成分と使用上の基準として見なされない非??的な成分を?別した。
本稿で考察した?容をまとめると、以下の通りである。
[1] 「出かける」の尊敬語形式「お出かけになる」と「出かけられる」?者の使用上の基準をその??の
仕方から?察すると次の通りである。(1)と(2)では〈神的イエス〉と見なされる〈イエス〉の行?に?し
て「お出かけになる」が使われているが、(1)と(2)でナル型敬語を選?する上で??する要因には多少の
違いがある。(1)では改まり度の違いよりは〈イエス〉を〈神的イエス〉として表現するための敬意主?の
把握の仕方に重点が置かれているのに?し、(2)では話?的要因が該?尊敬語形式を選?する上で直接的に
??している。一方、(1)では「イエスが[そこから]お出かけになると」のように動作の起点を表す成分
が、(2)では「イエスは[~の村に]お出かけになった」のように動作の到達点を表す成分が明示されている
が、これらの成分は尊敬語形式を選?する上で直接??していない。
[2] 「登る」の尊敬語の形式には「お登りになる」と「登られる」があるが、?者の使用上の基準をその
??の仕方から?察すると次の通りである。(4)では〈イエス〉を〈神〉と同格と見なしており〈神的イエ
ス〉という行?主?の特性と地の文という文?的特?そして莊重?重さという話?的要因が使用上の基準と
して??し〈イエス〉の行?に?してナル型「お登りになる」が使われている。これに?し(5)(6)(7)
(8)では〈人間イエス〉という行?主?の特性と?該行?が個別的で具?的な事件という行??容のカテゴ
リ?的特?、そして話?的要因が使用上の基準として??し、〈イエス〉の行?に?してレル型敬語「登ら
れる」が使われている。一方、(4)の「イエスは~[山に]お登りになった」と(5)(6)(7)(8)の「イエスは
~、[山に]登られた」では「山に」のように移動の場所(到達点)を表す成分が明示されているが、前者では
ナル型敬語が後者ではレル型敬語が使われているという点でこれらの成分は使用上の基準において非??的
であると考えられる。同?に(4)の「イエスは[祈るために]ひとり山にお登りになった」と(8)の「イエス
は、~[祈るために]山に登られた」では「祈るために」という動作の目的を表す成分が使われているが、こ
れも尊敬語形式の使用上の基準において非??的なものと見なされる。
[3] 「?る」の尊敬語形式には「お?りになる」と「?られる」があるが、?者の使用上の基準をその?
?の仕方から?察すると次の通りである。(9)と(10)では〈人間イエス〉という敬意主?の特性と地の文
という文?的特?と改まり度が高いという話?的要因が、又、(11)では〈神的イエス〉という敬意主?の
特性と地の文という文?的特?と改まり度が高いという話?的要因が認められ、これらの使用上の基準がナ
ル型敬語を選?する上で直接??している。(12)では〈人間イエス〉という行?主?の特性と地の文とい
う文?的特?そして話?的要因が使用上の基準として?き、レル型敬語が使われている。一方、移動の到達
点に注目すると、(9)(10)の「故?」のように規模が大きく抽象度の高いものに?してはナル型敬語を、
これに?し(12)の「家」のように到達点が特定化され具?的なものに?してはレル型敬語を?別して適用
したという解?も成り立つ。このような?点で見ると、(9)の「故?」と(10)の「家」は尊敬語形式を選
?する上での??的な成分として見なされる。(11)の「イエスは~、[ヨルダン川から]お?りになった」
のように移動の起点が、(13)の「イエスは~[ガリラヤに]?られた
저자키워드
ナル型敬語;レル型敬語;使用上の基準;??的な成分;非??的な成分; Naru-type honorifics;Rer
u-type honorifics;usage norms;Participative use;non-participative use
pp.187~206 (20pages)
Abstract
1. はじめに
2. アナキスト「堀田正一」
3. 在日朝鮮人??者とともに
4. 「モルヒネ」と朝鮮モルヒネ政策
5. ?抗言?としての文?
6. おわりに
참고문헌
초록
This paper focuses on Hotta Shoichi’s Morphine, in order to consider how a Japa
nese novelist depicted Japan’s morphine policy in Korea. Although the proletari
an novelist Hotta Shoichi is rarely discussed today, I will identify the path th
at led to his interest in the morphine problem among Zainichi Korean laborers a
s part of his own process of self-formation, which took him from anarchism to sy
ndicalism, and finally to a commitment to Marxism. By this time, Hotta had alrea
dy published several works based on his origins as a worker, but Morphine was a
unique work, as it entrusted subjectivity solely to the characters of Zainichi K
orean laborers. Taking as its theme the potential for solidarity between Japanes
e and Korean workers, Morphine offers a portrait of Korean workers employed in J
apan under harsh conditions, as they reproduce their labor using morphine. Thei
r fate, underpinned by Japanese policy toward morphine on the Korean peninsula,
reveals the schema of Japanese colonial rule. In the prewar era, the Korean peni
nsula was both a major opium-producing region for Japan ,and a site of morphine
consumption. This paper locates Hotta’s Morphine as part of a counter-discours
e problematizing Japan’s morphine policy.
저자키워드
堀田昇一;プロレタリア文?在日朝鮮人??者;朝鮮モルヒネ政策; Hotta Shoichi;Proletarian nov
el;Zainichi Korean laborers;morphine policy in Korea
pp.207~222 (16pages)
Abstract
1. 머리말
2. 1940년대 한일 「國語」의 단원 구성
3. 1940년대 한일 「國語」의 동일 keyword
4. 맺음말
참고문헌
초록
本?究は朝鮮における近代?育の中で行った日本語?科書の「?語」に?してである。「?語」は?民が共
通的に使用する言語を意味するもので、?語?育は?語に?するコミュニケ?ションの能力を養うのを意味
するのであるが、韓?の近代?語?育は帝?主義の臭いを?びているといえよう。それは植民地だった朝鮮
にての「?語」は朝鮮語でなく、日本語であったからである。1938年日帝の?力によって生活の場におい
ても〈?語常用運動〉が進められ、支配者の言語である日本語が朝鮮でも?要され、日本語は「?語」とし
て扱われたのである。
1940年代に??で使用された日本語の?科書のテキストである「?語」はどのような共通点と相違点を
持っていたのか。特に太平洋??に?頭していた日帝が自?民と植民地の韓?人に?してどのような類似性
を?わしているのか。同時期に同じく?育した朝鮮?督府と日本文部省の日本語のテキスト「?語」を比較
することによって日帝が意?した目的を究明しようと試みた。
その結果、?方の「?語」の共通?元が155で約64%を占めているのが確認できた。これは日本?童に施す
?育理念とほぼ同じ?育?容を朝鮮?童にも注入したのを意味する。共通?元をその主題別に分けると、天
皇と?連した?元が37個で、??を描?した?元も32個であることが分った。また、共通?元をジャンル
別に分類すると、詩、報告ㆍ?察文、?明ㆍ解?文を利用して?水艦と飛行機などの??武器を製造、操作
を通して、??の美化に利用していた。それに、?力を伸長して世界の中心になっていく?力な日本帝?の
イメ?ジを作り上げていくとともに皇室を神格化を?sって??の本義が天皇であることを明らかにしてい
る。結局、1940年代の??の日本語のテキストであった「?語」は、天皇の臣民、皇軍を養成する?置ば
かりでなく、朝鮮?童にも絶えず同じ目的を全うする規制?置であったのが確認できだ。
저자키워드
?語;?育;?科書;植民地;日本帝?天皇;??臣民;兵士; Kokugo;National language;Education;
Textbook forschool;Colony;the Japan empire;Tenno;the war;Shimin;people of the pu
blic nation;Heishi;soldier
pp.223~249 (27pages)
Abstract
Ⅰ. 서론
Ⅱ. 외국인 투자기업의 선행연구 및 경영형태
Ⅲ. 일본인 직접투자 자료수집 및 현황분석
Ⅳ. 일본인 투자기업이 지역경제에 미치는 영향
Ⅴ. 결론
참고문헌
초록
本?究は、大邱ㆍ慶北地域の日本人投資企業が地域??に及ぶ影響及び時事点などを提示しようとする目的
を持っている。大邱ㆍ慶北地域の日本人投資企業の比率は外?人投資企業の57%を占めている。また、大
邱ㆍ慶北地域は立地?件及び?格競?力で、他地域に比べて地域??規模が?大される充分な可能性と誘因
を持っている地域であり、機械産業施設がある浦項と蔚山に接近性がよいし、同時に首都?にも接近しやす
い道路及びKTXなどが?えている。しかし、交通??費用、高い賃金などの物流費用は改選が必要である。
その以外に、知的所有?制度の未備、優秀な?究人力の不足、政府支援及び?究開?インフラ不足などは、
外?人投資企業から指摘されている。
저자키워드
日本人投資企業;地域?? FDI;Japanese Investment enterprise;the regional economy
pp.251~270 (20pages)
Abstract
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 고려ㆍ조선의 ‘契’와 무로마치의 ‘契約’의 전개 양상
Ⅲ. 한ㆍ일의 ‘契’와 ‘契約’의 사회적 기능과 역할 비교
Ⅳ. 맺음말
참고문헌
초록
This study is the comparison between the Sinomatsuura Ikki Keiyaku of Japan whic
h appeared in the 14th century the Munmugye and Hyangdogye of Korea which show a
fter the 12th century. In other words, it is the comparison between the Gye and
the Keiyaku that existed in Korea and Japan at the same age and the study of it
s social function.
The Gye is in Korea and the Keiyaku is in Japan. But its functions are incredib
ly similar each other. One thing in common is that it is the voluntary social or
ganization of all members. And, it is common that the organization set up throug
h the promise and agreement of members. Also, it has in common that the Buddhis
m is the religious agreement and both participation and breakaway are free.
Let’s have a look at the difference. The Keiyaku in Japan included the paragra
ph that swore the loyal to Shogun. This is the pledge of military fealty and sub
mission that is the character in Japanese medieval society. The Gye in Korea is
deeply related to the daily life and persue the game and the wish.
저자키워드
高麗;朝鮮;室町;鎌倉 契;契約;一揆;族的 結合;松浦黨一揆; Korea dynasty;Joseon Dynasty;Mur
omati;Kamakura;Gye;Keiyaku;Ikki;Simomatsura Ikki;Family connection
pp.271~294 (24pages)
Abstract
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 뉘른베르크와 ‘관습의 혁신’
Ⅲ. 국제관계의 현상유지에 反한 세계관
Ⅳ. ‘조약’이라는 전제와 ‘자위권’ 행사의 조건
Ⅴ. 맺음말
참고문헌
초록
Echoing the Nuremberg precedent, the majority of the judges at the Tokyo Trial r
uled that its Charter did not violate the principle of legality in light of the
Kellogg-Briand Pact and other interwar pronouncements renouncing war as an instr
ument of national policy. In his dissenting opinion, Radhabinod Pal of India con
tended that those international efforts fell short of creating a customary law t
o the effect of outlawing “aggressive” war. Instead, he continued, national so
vereignty was intact as the fundamental basis of international relations: the us
e of force remained a legitimate means of self-defense, to be exercised as long
as the state in question had a “bona fide belief in the existence of some suffi
cient objective condition.” Japan’s war, in his view, was essentially justifia
ble in that regard. Apart from the legal technicalities, he seems to have at lea
st retrospectively resonated with Japan’s wartime slogan of “liberating” Asi
a, too. His sympathy for Japan betrayed his disapproval of the international sta
tus quo which, plagued with imperialism, had long been forged through the violen
ce of the victor nations. The Western powers’ call for peace, then, loomed as
a hypocritical ruse for preserving their own interests. In the end, Pal was an i
deologically partisan judge in his own right. In defending Japan’s cause, moreo
ver, he was unconscionably indulgent in interpreting the conditions and scope o
f self-defense. On the ex post facto nature of the Crimes against Peace per se,
as it remains a contentious issue even today, Pal may have made a valid point; t
he paucity of individual indictments for aggression in the postwar years furthe
r suggests its incomplete state as a justiciable crime. All the same, as advocat
es of the Trial argue, the slow yet persistent pursuit of a viable mechanism fo
r punishing aggression in and of itself may vindicate the legal minds behind Nur
emberg and Tokyo. One might also note that, with practical and ideological prere
quisites of war crimes trials brought off, the end of World War Ⅱ had occasione
d a rare and auspicious moment for the growth of international criminal law.
저자키워드
東京裁判;平和に反する罪;ラダビノ?ドㆍパ?ル;罪刑法定主義; Tokyo Trial;Crimes against Pea
ce;Radhabinod Pal;principle of legality
pp.295~324 (30pages)
Abstract
Ⅰ. はじめに
Ⅱ. キ?セン?光反?運動?究の意義
Ⅲ. キ?セン?光反?運動のはじまりと展開
Ⅳ. 運動の?い手たちの意識
Ⅴ. おわりに
참고문헌
초록
本?究は、韓?と日本の女性運動史?究において立ち?れている、1970年代における韓日の女性たちの
キ?セン?光反?運動の分析である。特に、本稿では、日本女性運動史における「70年代」、さらに韓日
女性たちの相互認識の?史における「70年代」の位置づけや意味を?討しながら、キ?セン?光反?運動
の始まりと展開、運動の?い手たちの意識を明らかにする。そして、韓日??の女性運動にとって、キ?セ
ン?光反?運動の可能性と課題は、何だったかを?討する。
저자키워드
韓?女性運動;日本女性運動;キ?セン?光;買春?光;アジア認識; Women’s Movement in Korea;Wo
men’s Movement in Japan;‘Key Seng’ Tour;Buying Sex Tour;Asia Recognition
pp.325~349 (25pages)
Abstract
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 국학자 모토오리 노리나가의 발견
Ⅲ. 전통의 정립-하가 야이치
Ⅳ. 전통의 재정립-히사마쓰 센이치
Ⅴ. 맺음말
참고문헌
초록
「?文?」は「??」の?統というものを引き?いで成り立ったのだろうか。そもそも「??」の?統とは
何を意味するのか。近代的?問の一つとして「?文?」が形成され、それが「?民の?」を?う際に、?文
?者は「??」との連?性をことさら?調した。すなわち、近代以前に?にあった?民的自?として「?
?」を位置づけ、そのような「??」を?承しているのが「?文?」であると標榜する。ここに「??」か
ら「?文?」へといった新たな?統がつくられるのである。ちょうど時期を同じくして、「??」の完成者
として本居宣長の名が浮上し、?定?科書における?史や?語の?材を通じて、やがて彼は「皇?主義者」
の代表として日本の?民的存在となっていく。彼の多くの著作は、とくに??中において時局に合わせた形
で誤?ないし曲解されたまま受容された。そして?後を?た今になっては、本居宣長はナショナリズム批判
の議論のなかで、とりわけ「日本的なもの」といった思考の原型として批判の的になっている。
本稿は、近代日本において「?文?」が「??」という?統を背負って誕生するところに、近代的?問と
しての宣長「?」の?見もあり、その?見が同時にいわゆる「宣長問題」のような問題設定を可能にした背
景であったということを明らかにするものである。まずは近代日本において「??者」本居宣長が?見され
ていく過程を確かめた後、「??」から「?文?」へという?統をつくった「?文?者」の代表として、芳
賀矢一と久松?一の二人をあげて論じる。芳賀矢一が宣長「?」の?見を契機に、「??」の「?」として
の定位に成功したとすれば、久松?一は、そのような芳賀を「新??」と定めることで、「??」と「?文
?」との?係を再定位したといえる。こうして?統としての「??」が持ち?まれ、新しく誕生した「?文
?」の立地を急速に固めていったのである。
저자키워드
本居宣長;皇????文? Motoori Norinaga;Mikuni;Empire Japan;Kokugaku;the study of
ancient Japanese thought and culture;Kokubungaku;national literature
pp.351~370 (20pages)
Abstract
Ⅰ. 머리말
Ⅱ. 공기(公器)로서의 신문과 권력
Ⅲ. 권력에 동조하는 신문과 전쟁
Ⅳ. 맺음말
참고문헌
초록
本?究は、??を通じて?家構想を?現せんとした帝?日本の?時?制のなかにおける新聞のあり方を分析
することを目的としている。?時?制が?化されてゆくことにつれて?家?力は新聞に?してあらゆる??
を加えていたにもかかわらず、?質的には新聞の?行部?が急激に?大される現?に?してその裏に作用す
る言論の二つの側面、すなわち??を報道する公器としての側面と、激しい競?に露出されて?業上の利益
を確保しなければならない??主?としての側面から分析しようとするものである。ただ?に、言論??が
?制され、それによって仕方なく言論が帝?に同調していったという?明だけでは同じ?力への同調ではあ
るものの、そのあいだで?見される微細な差異の原因と結果を正しく捉えることはできないであろう。言論
機?から宣?機?に成り下がった新聞を取り上げ、「新聞と??」の問題を考え直してみたい。
저자키워드
帝?日本;新聞;言論自由;言論??新聞法; the Japanese Empire;newspaper;freedom of pres
s;suppression of the press;press law
pp.371~392 (22pages)
Abstract
一. はじめに
二. 一九一?年前後:朝鮮の植民地化
三. 一九三?年代:帝?の?張
四. ?後:挫けられた「普遍」とその?映
五. 今日:資本主義と?史表象
참고문헌
초록
本稿は、今日の日韓における「友好ㆍ善隣」のシンボルとして機能している「金忠善/沙也可」の?史的な
表象の作業を?前に遡って?討することを目的とする。「金忠善/沙也可」は朝鮮が植民地となる一九一?
年代の段階では、ひたすら「??奴」と評?され、かれの行跡が書かれているいくつかの史料もすべて?作
として批判された。だが、一九三三年に中村?孝の論考が?表されると、「金忠善/沙也可」に?する認識
は急?していくようになる。中村は、??の?究に「??性」が欠けていることを指摘し、「金忠善/沙也
可」が?史的に?在していたことを明らかにした。しかし、帝?日本の大陸への?張の時期と重なっている
中村の?究は、帝?主義の膨張の論理や普遍への欲望とも?わっていると思われる。「金忠善/沙也可」の
表象に孕まれていた普遍への欲望は、?後になると司馬遼太?の再?見を?て、今日においては資本主義と
結合され「こころのオアシス」という形で?われている。本稿は、?後に高く評?されてきた中村の「??
性」に基づく?究や、「友好ㆍ善隣」の象?となっている「金忠善/沙也可」の?史像を捉えなおし、「近
代?史?」そのものに含まれている暴力性をえぐりだそうとするものである。
저자키워드
金忠善;沙也可;表象;近代?史?中村?孝;??主義;普遍;?墟; Kim ChungSun;Sayaka;symbol;his
torical studieds of the mordern;Nakamura Hidetaka;positivism;universality;ruin
pp.393~415 (23pages)
Abstract
Ⅰ. 서론
Ⅱ. 선행연구와 이론적 검토
Ⅲ. 일본 애니메이션 산업의 시장규모 변화
Ⅳ. 성장 요인과 변화 분석
Ⅴ. 요약 및 향후 연구과제
참고문헌
초록
The present study, having recognized the drastic reduction in the scale of the a
nimation market in Japan since the mid 2000s, is based on a critical view of th
e change in the development factors, that had long been emphasized, of the Japan
ese animation industry. Such a continuous decrease in the size of the market imp
lies the possible loss of the driving force on which the animation industry depe
nded. The result of an actual analysis showed that the collapse of home video ma
rket and the decline in the sales of foreign copyrights were the reasons behind
the diminution of the market size. Moreover, according to an analysis of the maj
or factors for the development of the animation industry, it was found that ther
e had been a change serious enough to cause a deciding influence on the reductio
n of the market size and that this tendency would not be easily faltered.
저자키워드
日本アニメ?ション産業;市場規模;成長動因; Japanese Animation industry;Scale of market;
Development factor
pp.417~439 (23pages)
Abstract
はじめに
Ⅰ. 同志社女子?門?校と朝鮮旅行
Ⅱ. 女子?生たちの朝鮮旅行
Ⅲ. 「親しく接する」という??のゆくえ
おわりに
참고문헌
초록
本論文では、同志社女子?門?校の1925年ㆍ1927年朝鮮旅行とその旅行記を手がかりに、「朝鮮の人?と
自然に親しく接する」という旅行目的に注目して、植民地?光について考察を行う。「海外移住」をすすめ
るために、「無理解から理解」への旅として設定された近代日本の植民地?光旅行。しかし、柳宗?ㆍ柳兼
子が引率を行った旅行は、そのような方向性とは一線を?そうとしていた。柳夫妻が行ってきた音??事業
に女子?生達もともに?加し、柳夫妻の姿勢や「親しく接する」という旅行の目的もあり、通常の?光旅行
では出?えない可能性のある人?との多?な出?いを??した。それを通して、日本の朝鮮支配に?する否
定感を示すとともに、自身をも?るがす視線を得た?生もおり、それらを旅行記文集朝鮮旅行記の記述をも
とに紐解いた。近代日本の植民地?光とは何であったのか、その議論のための一試論として、この事例を紹
介したい。
저자키워드
朝鮮旅行;旅行記;女子?生;「自他」認識;柳宗? Tourism to Korea;Tourism writing;Girl stu
dents;Recognition of ‘Others and myself’;Yanagi Muneyoshi
pp.441~470 (30pages)